新コロ漫筆〜狂歌をよむ

永井荷風大田南畝について書いた随筆や論稿を読んでいるうち、荷風経由ではなく直截南畝を読んでみたくなり、 いま『大田南畝全集』の狂歌の巻を読んでいる。素人なので自己流の解釈は避けられず、それに気がかりな新型コロナウイルスに引きつけて読んだりもしている。

 

「はやり風引こもりたる車留御用の外の人は通さず」

「車留」の前書がある。車留は、車の通行を差し止めること、また、車が進入しないように設けたものやその場所をいう。登城や奉行所への出入りは特別な御用の人だけでそれ以外は通さない、昔から感染症対策の基本は密を避け、人の流れを少なくすることにあったことが知れる。

南畝の時代になかったのが空港という車留で、ここでも「御用の外の人は通さず」という原理原則が重要なのは変わりなく、わが国は台湾やニュージーランドと比較して、初手でまずい手を打った。空港という車留に海外からの客を通して、迎えた出入国管理 、水際対策が悔やまれる。おもてなしの精神にもアクセルとブレーキは必要なのに。

 

「ながき日に親のいさめのうたたねも老いらくの身のさもあらばあれ」

緊急事態宣言のもと外出自粛生活の指針とするに足る狂歌ですな。わたしのような下流年金生活者はスリリングなテレビドラマをみて、面白本を読みふけり、ときにうたた寝するがいちばん。

「用あるともはやくおきる事なかれ。ひまありとも出る事なかれ」

説明や狂歌はなく、どうしたときの感想かはわからないのだが、引きこもりもまたたのしい気分です。

 

「都から三国一の客が来てけふもふるまいあすもふるまい」

四月二十三日、政府は新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を、東京、大阪、京都、兵庫の四都府県に発出することを決め、期間を四月二十五日から五月十一日までとした。

三度にわたる宣言で、一回目は効果はあったが、二回目は拙速な解除のためかさほどのことはなく、三回目は二回目のマイナス効果に追い込まれた感が強い。 

このかん、どのような呼びかけがなされたかを「『福祉のよろずや』ぽれぽーれ」という方がまとめたツイートがあり、即座に「いいね」をさせていただいた。

「何度繰り返すの?」という前書のあとに続けて

2020年

3月「この1ヶ月が勝負」

4月「緊急事態宣言」

5月「GWも自粛」

7月「この夏は特別な夏」

8月「夏休みも自粛」

9月「この連休がヤマ」

11月「我慢の三連休」

12月「真剣勝負の三週間」

2021年

1月「また緊急事態」

2月「延長」

3月「さらに延長」

4月「またまた緊急事態宣言」とある。

年がら年中、閉店セールで安売りを叫んでいるみたい。これではエライさんの呼びかけも、またか、となるのはやむをえない。

こうしたなか菅首相、二階幹事長はじめ一部の議員諸公や高級官僚のみなさんが会食に興じておられたのはご存知の通りで 、なかには「けふもふるまいあすもふるまい」の方もいらっしゃったのではと推し測った。

この一年、わたしは「ふるまい」こそしなかったものの、これまで以上にお酒が旨く、愛おしくなった。外出自粛がよくもわるくもお酒の楽しみを増やしてくれて、 一日置きの晩酌が待ち遠しくてたまらない。

今回の緊急事態宣言を前に子供たちから、念のためトイレットペーパーやティッシュをちょっとだけ買い増しておいたらとメールがあり、わが家はもうひとつお酒もちょっと多めに準備しておこうと勝手に解釈して、ちょっと多めのしあわせな気分になった。

「ふくと寿の二ツに事はたる酒の天の美禄も其中にあり」

 

「新コロにため息ついて宣言をむすんでといてといてむすんで」

南畝先生の作品のあとに自作の狂歌を載せるなんて天に唾を吐くおこないとは知りながら、やむなく、繰り返される緊急事態宣言を思いながらよんだ歌をしるした。狂歌をよむ人が少しでも増えるのはよいと南畝先生が思ってくださるのを願うばかりだ。

繰り返される緊急事態宣言、結んでは解き、解いては結んで三度目である。これでオリンピックパラリンピックは開催できるのかしらと懸念するが、政府は感染症対策をしっかりすればできるという。

森友学園加計学園桜を見る会などの疑惑に百十八回の虚偽答弁(衆議院調査局)を重ねた首相を支えた官房長官だった方がいま首相となってそうおっしゃってもにわかには信じがたいけれど、ま、そういうことなのだろう。

そんなことよりもわたしは首相が協助、公助以上に強調し、推奨する自助を大切にしよう。手洗い、うがい、マスクなど自助を第一として感染症防止に努めながらワクチンを待っている。忍の一字に海路の日和である。