アンクレット

新型コロナ感染症禍のなか、東京在住の高齢者はおのずと自宅で映画、TVドラマをみることが多くなり、先日もNHKBSPで放送のあった「深夜の告白」を鑑賞したことでした。

ビリー・ワイルダー監督とシナリオ担当のレイモンド・チャンドラーが組んだノワール好きには堪らない作品は四、五回みていて、ここではすこしトリヴィアな話をしてみます。

ロサンゼルスの保険会社に勤務するウォルター・ネフ(フレッド・マクマレイ)は、顧客の実業家の自宅で、美貌の後妻フィリス・ディートリクスン(バーバラ・スタンウィック)に出会い、やがて誘惑されて不倫の関係に陥り、保険金目的での夫殺しに荷担してしまいます。

フィリスは演じたバーバラ・スタンウィックが「ファンがわたしとフィリスを混同し、もうわたしを好きでなくなるんじゃないかと、心配だったの」と憂慮したほど稀代の悪女でした。

最初に登場するシーンで、彼女はアンクレットを光らせて階段を下りてきます。アンクレットは魔性の女のシンボルとなっていて、ネフはその姿に魅了されます。はじめてこの映画をみたのは四十年ほど前だったでしょうか、ネフとおなじくわたしも美脚とアンクレットに参りました。

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バーバラ・スタンウィックの衣装デザインを担当したのはイデス・ヘッドで、のちに「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」のオードリー・ヘプバーン、「裏窓」のグレース・ケリーを担当したことでも知られています。そうして「深夜の告白」について「服はあまり目立ってはいけないし、安っぽすぎてもいけないんだけど、バーバラ・スタンウィックの身体の線を見せなくちゃならないの。彼女の脚はとてもきれいだった。誰の脚もーディートリッヒの脚でさえーあんなにきれいじゃないわ。(中略)スタンウィックはそんなに背が高くないのに、身体の割に脚が長くて、しかも形がきれいなの。どうすればその脚が引き立つか知っていたから、彼女は実際よりずっと脚が長いようなイメージを作りあげていたわ」と語っています。(シャーロット・チャンドラー、古賀弥生訳『ビリー・ワイルダー 生涯と作品』アルファ・ベータ)

つまりはアンクレットにうってつけの女優なのでした。

いっぽうビリー・ワイルダーキャメロン・クロウとの対話『ワイルダーならどうする?』(宮本高晴訳キネマ旬報社)で「スタンウィックは頭の切れる女優だった。彼女のもちこんだあのカツラのことは質してみたが、あの女性にぴったりだった。ひと目でわかるいかにものカツラだからだ。それに、あのアンクレットーあの種の男と結婚する女がつけていそうな装身具だ。殺しに飢えているさまがありありだ」と述べています。

こうしてバーバラ・スタンウィックのアンクレットは美脚にアクセントを添えるとともに魅惑の悪女の装身具というイメージを鮮烈なものとしたのでした。

ビリー・ワイルダー監督はフィルム・ノワールとは対照的なロマンティック・コメディ「昼下がりの情事」でもアンクレットを用いており、ここではコンセルヴァトワール(フランス国立高等音楽院)でチェロを学ぶ純情な娘アリアーヌ・シャヴァス(オードリー・ヘプバーン)が年長のプレイボーイのフランク・フラナガンゲーリー・クーパー)に、自分を大人の女にみせたくて、持っていたチェロのケースに付いているチェーンをアンクレットに仕立てたのでした。

この映画でオードリー・ヘプバーンの衣装を担当したのはイデス・ヘッドではなくユベール・ド・ジバンシィでしたから、アンクレットへのこだわりは監督のものだったと思われます。察するに、アンクレットについてふつうの貞淑な女なら身につけることのない、特別にセクシーなアクセサリーという牢固とした観念を抱いていたのではないでしょうか。ビリー・ワイルダーはアンクレットがお好き、なのでした。

なお「深夜の告白」の原作はジェームズ・M・ケインの『倍額保険』で、まだ映画の題名すら知らないころ、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に魅せられておなじ作者の作品を新潮文庫の目録で調べるともう一作『倍額保険』が載っていて、一気読みしたことでした。

新潮文庫さんにはぜひ復刊をお願いしたい。