新コロ漫筆〜池江璃花子選手のこと

五月十一日までだった緊急事態宣言が月末まで延長されることとなった。

すると五月十七日に予定されていたIOCバッハ会長の日本訪問が緊急事態宣言の延長を受けて延期されるとの報道があった。なんだか今回の緊急事態宣言の日切をとりあえず五月十一日としたのはバッハ会長の来日を念頭においたものだったようにみえる。

もしも会長の来日が先にセットされ、そこから逆算して緊急事態宣言の日取りが決められたとすればすでに日本は半植民地状態にあるのではないか。それが過言だとしても、新型コロナ感染症とオリンピックパラリンピックとが合体して迫ってきていているようで不気味である。

この現状をふまえ、わたしとしては、国民の命と暮らしを守るのは日本国政府であってIOCは興行団体である、IOCがやるといっているから日本もやるのではなく国民の命と健康を第一に政府が主体となって開催の可否を判断してくれるよう願う。じじつ「五輪期間中や大会後に日本で感染が拡大したら、誰が責任を取るのか?」という問いにIOCコーツ副会長は「日本政府の責任であり、程度は下がるが東京都の責任になる」と回答しているのだから。

そしてもうひとつ、感染症対策とオリパラとの関係は、あくまで感染症対策が「本」で、オリパラは「末」なのだから政府は本末転倒にならないよう望みたい。現状では「本」が安心安全とはほど遠いのに「末」は安全安心となるとは思えない。

オリパラをめぐってはさまざまな立場があり、利害は錯綜する。多くの選手が掴んだチャンスを活かしたいのはあたりまえであり、理解もする。わたしは東京在住の高齢者だから、自身の命と健康を守る観点からオリパラは危険であり、リスクは取りたくないと考えている。

だからといって有名選手を巻き添えにして代表を辞退してとかいう人たちといっしょに反対の声をあげるのはごめん被る。

競泳の池江璃花子選手にオリンピックの代表を辞退してとか、オリンピック反対の声をあげてほしいといった声が届いているという。いくらわたしがオリパラの開催に反対であっても池江さんとその人気をこうしたかたちで政治利用する人たちとは一線を画したい。

池江選手がオリンピック出場を決めた際に、オリパラ推進の立場の人たちが、病気を克服して代表の切符を獲得した池江選手を前にしてオリンピック反対などといえるか、と凄んでいた。池江選手に代表を辞退してほしいとかいう人たちと主張は真逆だが、彼女を自分たちの目的のための手段として利用しようとする点では共通している。

人気と実力のある水泳選手を持ったことが図らずも彼女を政治目的に利用しようとする人々のさもしい心性を露わにした。「他山の石」ではなく「頂門の一針」として心にとどめておこう。

余談だが人気というのは厄介なもので、ヒトラーというたいへんに人気のあった政治家はドイツ国民を煽り、人々はユダヤ人にたいする差別意識と暴力性を最大限に発揮した。最近ではトランプ前大統領への熱狂的な人気は一部支持者のホワイトハウス乱入事件につながった。もしも首相が新型コロナなどどうあろうともオリパラは絶対開催すると吼えて爆発的な人気を博したらわたしのような立場の者は生きた空もない。