「日日是好日」

小津安二郎は、物語じゃなくて随筆みたいなものを映画にしたいとよく語っていたそうだ。「おれは黒澤明君みたいにオクターブは高くない」とも。
オクターブの高い波乱万丈の物語を語る映画と、ありきたりのドラマティックは追及せず、日常生活のなかで生じた微妙な感情の襞や揺らぎを描いた随筆ふう映画といった分類をもとにいえば「日日是好日」は後者の系譜に連なる味わい深い作品である。

安穏無事、でも何をしたいのか定まらないまま大学生活を送っていた典子(黒木華)が母親の勧めでいとこの美智子(多部未華子)といっしょに、近所の「武田のおばさん」(樹木希林)の茶道教室に通うことになる。何気なく始めた茶道、そこには見たことも聞いたこともない所作や決まりごとがあり、典子を戸惑わせた。それが二十数年にわたる武田先生との師弟関係のはじまりだった。
このかん就職、美智子の結婚、自身の婚約の破綻、父親の死といった経験を重ねた典子はお茶と人生との繊細で微妙な関係を思うようになる。冒頭、子供のときフェリーニ監督のイタリア映画「道」を両親に見せられたが、何がよいのかまったくわからなかったと典子が語る。これが見事な付句として効いていて、やがて「道」の魅力の発見とお茶とが通じあってゆく。
四季の移ろいとともに描かれた人生の哀歓が心に沁みた。これから時間が過ぎるとともにその度合は増すだろう。また、章立てのように示された立春、雨水、清明など季節の言葉をこの映画と結びつけて思うことも多くなるような気がする。
黒木華多部未華子鶴見辰吾(典子の父親)などいずれもこの役柄はこの人以外にはないと感じるほど作品世界に溶け込んでいた。そして茶道の所作、形を示し、そのあり方を穏やかに語るなかに生き方、人生への向かい方を表し、困難なときの典子をやさしく包み込む樹木希林。調べてみるとわたしの七歳上、悠木千帆のころから知る女優の最晩年の作品を感謝とともに讃えたい。
監督は大森立嗣。「さよなら渓谷」以来わたしには見逃せない人だ。
原作はエッセイスト森下典子の『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫)。映画館からの帰り道でさっそく購入しました。
以下、字余り。スクリーンのお茶菓子がじつに美味しそうだった。
(十月二十四日シネスイッチ銀座