瞬間日記抄(其ノ五)


晦日夜七時のNHKニュースで高峰秀子の訃報を知る。命日は十二月二十八日。八十六歳だった。御冥福をお祈りするばかりだ。フィルモグラフィーでは出演作およそ百七十本を数える。そのうちわたしが観ているのは四十作余りだからまだまだ開拓の余地は大きい。
自分が監督した映画に出演した女優では原節子高峰秀子がうまい、こちらの意図をしっかり受け取って、それを素直にやってくれる。原節子は得手不得手がはっきりしている。以上は田中眞澄編『小津安二郎戦後語録集成』にある小津安二郎の発言。図らずも高峰秀子の藝の鉱脈の広さと深さを証している。






女優自身のサイン、押印のある『高峰秀子』(キネマ旬報社)が手許にある。本書は昨年三月の刊行だから、この頃はまだ元気だったのだ。報道によると昨年十月に体調を崩して入院したという。同書の写真を眺めては、彼女と笠置シヅ子、岸井明が歌い踊る「銀座カンカン娘」をYouTubeで数回見た。







旅行には文庫本だ。単行本はじっさいの重さよりも気分的に重い。だから読了しておきたかったのに三十頁ほど残った。でもこんな面白い本を明晩の帰宅まで中断するのはいや。けれど重いのも困る。悩みつつ読みかけの三上真一郎『巨匠とチンピラ 小津安二郎との日々』と文庫本の二冊に手が伸びた出張の日の朝。
三上真一郎『巨匠とチンピラ』に山本冨士子が映画界に転ずる前に日本銀行の就職試験を受けていたとの話がある。成績は抜群だったが、彼女のあまりの美貌に心奪われた男性社員が仕事をおろそかにしやしないかと危惧した銀行側は断腸の思いで不採用通知を出したという。「ミス・日本落ちて役者の花開く」。
秋刀魚の味』のバーのマダム役を岸田今日子の前に嵯峨美智子に持って行ったところ彼女は「こんな役出来るか!小津安二郎、フン!」と台本を投げたという。三上前掲書より。この映画での岸田今日子、わたしは大好きだ。娘の婚礼の帰りに店に立ち寄ったモーニング姿の笠智衆に「お葬式ですか」の絶妙。



CS放送で見た早明戦をNHKの録画で再見する。前への明治、揺さぶりの早稲田の構図は変わらずとも早稲田の選手層は変わった。朝日新聞は無名選手のたたきあげがいた早稲田はいまや逸材揃いの才能集団と報じる。そのぶん、「あの頃」に比較してファンの思い入れの度合は低減しているような気がする。
早稲田は大学選手権に向けて何が必要かとの問いにNHK早明戦ゲスト解説者で早大ラグビー部前監督中竹竜二は、一人ひとりが強くなる、そのことでチームとして強くなる、ちょうど「一身独立して、一国独立す」という福沢諭吉の言葉のように、と応じた。福沢を引き合いに出す好漢解説者に拍手を贈りたい。


森崎書店の日々」は失恋のショックで職も止した菊池亜希子が、神保町の叔父の古書店を手伝いながら癒されてゆく物語。彼女が店番しながら読んでいる本の頁に「山王書房店主」という表題が見えていた。関口良雄という古本屋おやじのことを書いた野呂邦暢の随筆を彼女はどんなふうに読んだのだろう。










今宵はテディ・ウイルソンのブランズウイック・セッションを代表する名曲、「ブルース・イン・C・シャープ・マイナー」に想いを寄せる夜。コントラバスが奏でる重く執拗な主調低音とそこに乗るピアノやトランペットのフューチュア。ウイスキーをふくむと感傷過多になりそうなのでなんとか思い止まる。