よく食べ、よく愛しあおう

 『「あまカラ」抄』(冨山房百科文庫)に収める岡本太郎「食通の資格はない」は情理を兼ね備えた素晴らしい食味随筆だった。

新書版五ページの短文に納得また共感、そして両親の岡本一平、かの子にも触れてその面影を伝えてくれている。わたしにははじめての岡本太郎の文章で、エッセイ集があればぜひ読んでみたい。

「食通とはいったい何だろう、と思う。なるほど、うまいものガイドとしては便利だし、大へんな知識だが、一種の学問みたいなもので、食べ味わうという現実的よろこびとは必ずしも一致しないんじゃないか。(中略)何もかも忘れて、手と足と腹と、身体じゅうで食ってみたいのである」。

そう、食べることはよろこびなのだ。

岡本一平、かの子夫妻が息子太郎とともに渡欧したのは一九二九年(昭和四年)年末、夫妻は三二年アメリカ経由で帰国し、太郎はヨーロッパに残った。帰国に際し一平が太郎に贈った心遣いの言葉がよい。

「お前もかなりいろんなものを食べたが、これからも、金なんか惜しまず、一流のものは必ず食っとけよ」。

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おなじ『「あまカラ抄」』に写真家名取洋之助の「筋の通った話」がある。

名取の食いしん坊は親譲りというところからはじまり、母がいま入院中で「母がなおったら、二人で関西に旅行をし、母は私の看病のお礼に『大市』のスッポンをご馳走してくれるそうですし、私は母に、神戸の『青辰』のパリパリしたあなごの海苔巻を、全快祝いに御馳走する約束をしています」と結ばれる。

末尾に(三六・六)とあるのは、雑誌「あまカラ」昭和三十六年六月号の掲載だ。

名取洋之助は名前を知るだけの人だったので調べてみたところ「1910年9月3日-1962年11月23日」とあった。つまり「筋の通った話」が掲載された翌年に亡くなっていて、微妙複雑な気持になった。

名取の在世中に、ご母堂は退院し、息子に「大市」のスッポンを御馳走できたのだろうか。息子は母に神戸の「青辰」の「パリパリしたあなごの海苔巻を全快祝いに御馳走」できたのだろうか。その後の母と子の時間がどうなったか気になる。死因は癌だったからこのエッセイを書いたとき写真家は患っていた。

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JR五反田駅西口からおよそ十五分歩いたところにめざす「銀座」はあった。はじめての戸越銀座だ。

わが家のご近所の谷中銀座は食を主に毎日賑わっているけれど、こちらは食にくわえ服飾、雑貨屋、書店(古本屋も)、温泉、それに葬儀社もあったからゆりかごから墓場までなんでも揃う完結した世界である。

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戸越銀座は「全長約1.3キロメートルにわたる関東有数の長さの商店街」で、(Wikipedia)、長い商店街の散歩で買い物をしたなかでとりわけ感動的だったのは小さなボトルの赤ワイン128円と白ワイン99円!

赤はポルトガル産、白はJALの機内で供されていると説明書きがあった。

これに名物のコロッケ90円をつまみにすれば〆て317円(税別)。これはもう「事件」であり、ここはワインの好きな諸兄姉に至福のトポスとして過言ではない。

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散歩のあとは池上線で大崎に出て夕暮のビル街を眺めながら、その一角にあるビアホールで乾杯。

池上線の車内では西島三重子の歌った名曲「池上線」を心のなかでハミングしておりました。

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立川昭二『足るを知る生き方 神沢杜口「翁草」に学ぶ』(講談社)によれば、杜口(1710〜1795)は七十頃から其蜩庵と号した。蜩はひぐらし、その日暮らし庵は、その日を大切に、楽しく暮らすとの意で、古稀を記念してつくった俳文集『ふたりつれ』に名付けの由来があり「残る世をその日ぐらしの舍(やど)り哉、と云つゞけて、倩(つらつら)おもふに、其蜩の二字は、我れには備わるいましめの文字なり、翌(あす)有りと思へば余念兆(きざ)す、其日々々を老の掘出しと楽しく暮らすこそ本意なれと、夫より其蜩をもて庵に号(なづ)く」と書いている。

杜口はまたもうひとつの号、可々斎についても述べていて「翁が号を可々斎と呼は、可は任其可(そのかにまかせ)、不可は任其不可(そのふかにまかす)の心にて、生涯朗に胸に蔵すの一物なし」と述べている。

胸に一物なく朗かに生きる老後。江戸時代の文章で「朗か」はめずらしい。

ついでながら『足るを知る生き方』に、越中富山県)の五箇の庄では百歳以上の人がままあり、八十歳以下で逝くと夭折といわれたという話が紹介されていて、もとは津村そう(サンズイに宗)庵『たん(サンズイに覃)海』(寛政七年、1795年)に見えているとのことだ。

さきごろ首相官邸に「人生100年時代構想会議」が設置されたが、どなたかこの五箇の庄について調査研究をなされてはいかがか。

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NHKBSで小津安二郎監督作品の「デジタル修復版」が放送されていて、さきごろ「お茶漬けの味」「早春」「東京暮色」の三作を見た。いずれもフィルムのキズやよごれが掃除されてきれいになっている。

なかで「早春」は二度か三度観ているのに池部良岸恵子(あだ名は金魚、煮ても焼いても食えない)が連れ込み宿でキスするシーンは記憶からすっぽりと抜け落ちていて、小津作品にキスシーンはないと思い込んでいたわたしにはちょっとしたおどろきだった。

小津関連でもうひとつ。

週刊朝日」(2018/6/29号)に、岸恵子が赤いスポーツカーに乗って撮影所に来たところ、小津安二郎が「この撮影所はいつから、ヤッチャ場(青果市場)になったんだ、ダイコンが車にのってやってきてる」と言ったエピソードがあった。

映画評論家の白井佳夫氏が書かれたもので、わたしは「早春」で岸恵子と共演した高橋貞二のことと記憶していたけれど。

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十月中旬にモンテネグロマケドニアアルバニアを旅し、十一月末から十二月はじめにかけてローマ、フィレンツェヴェネツィアなどイタリアの都市のいくつかを再訪した。

足腰がしっかりしているうちに興味関心のある外国に行ってみたいと、年に三、四回出かけているが、いずれ蓄えが底をつくのを心配しなくてはならないし、身体も思いのままにならない日を迎えなければならない。そのとき残された最高のたのしみは料理と酒にあると思い定めている。

口福のたのしみを彩り、豊かにするものに食味随筆があり、これまで開高健吉田健一のほかにはご縁のなかったその種の本を気にかけるようになり、アンソロジー『「あまカラ」抄』につづいて邱永漢『食は広州に在り』と『象牙の箸』を読み、食についてのおしゃべりのたのしさを味わった。

「詩文の興あれば食うもの口舌の外更に別種の味を生ず」(永井荷風「砂糖」)

食べるというよろこびに、食をめぐるおしゃべりを添えると「別種の味」が生まれる。うれしいなあ。

「人生に必要なこと。それは、よく食べ、よく愛し合うこと」(サラヴァン)