そば

きょうは大晦日。わが家でも、そばとつゆが今晩の食卓に出されるのを待っている。

その年越しそばについて、大森洋平『考証要集2』(文春文庫)に、ある編集者が幸田露伴のもとに年越しそばを届けたところ「これは町家の仕来りであって、幕臣たる幸田家では食したことがない」と言われたというエピソードがあった。森田誠吾『江戸の明け暮れ』にある話だそうだ。

NHK時代考証を担当する大森氏は「(年越しそばは)時代劇で武士には食べさせないほうがよい。武士が『細く長く達者で』では、『お主、そこまで命が惜しいのか!』なんて馬鹿にされたかもしれない」と述べている。

縁起ものなので、武士が縁起をかつぐのははばかられたという事情も考えられる。

ならば引越しそばはどうか。

年越しそばにかける細く長く達者でとの願いは、引越しそばの末永くよろしくと通じているから、こちらも武士には食べさせないほうがよいだろう。そばッ喰いの武士はいろいろと気を遣わなければならなかったと察せられる。

それはともかく新しく引っ越してきた者が近隣にそばを配る習慣は、江戸では天明年間(1781-1789)にすでに広がっていて、長屋の場合はいわゆる「向こう三軒両隣」にはせいろを二枚ずつ、大家には五枚を配った。江戸期には乾蕎麦は一般的ではなく、生の蕎麦や茹でた蕎麦では時間による劣化が起こるため多くは「そば切手」という商品券を配った。

そういえば人情噺「文七元結」では、文七が奉公する近江屋の主人卯兵衛が、酒屋で左官の長兵衛に届ける酒と切手を買い求めていた。

酒もそばも切手という商品券でのやりとりが行なわれていた。商品経済の発達するなか「幕臣たる幸田家」でも酒やそばの切手とは無縁でいられなかっただろう。