人生のトレーニングあるいは『初秋』の研究

「セプテンバー・ソング」と「セプテンバー・イン・ザ・レイン」について書いているうちにロバート・B・パーカーの代表作『初秋』を読みたくなり、久しぶりに頁を開いた。この前読んだのは作者が亡くなったときで、そのときわたしはこの名作を「人生のトレーニングあるいは『初秋』の研究」と題して勤務先の高校生に紹介した。以下はその旧稿の再掲です。

私立探偵スペンサーを主人公とするシリーズの作者として知られるロバート・B・パーカーが亡くなった。ことし二0一0年一月十八日パーカー夫妻は自宅で朝食をとり、そのあと奥さんが一時間ほどジョギングをして帰ると亡くなっていたという。人気作家の突然死である。
日本の読者のあいだで多くの方がシリーズ最高傑作として挙げるのが第七作の『初秋』だ。タフなハードボイルドのヒーローと自閉傾向にある少年との友情と愛情を描いた作品で、アメリカでは一九八一年に刊行され、翌年に菊池光による邦訳が出た。
舞台は七十年代後半のボストンである。ある日スペンサーはパティ・ジャコミンという女性から離婚した夫が息子ポールを連れ去ったので取り戻してほしいとの依頼を受ける。簡単な仕事だった。ただ、十五歳のポールはかろうじて学校には通っているものの、不仲の両親にまったくかまってもらえないままに育ったため、生きる意欲、生きる喜びを持たず、固く心を閉ざして何事にも関心を示さない少年となっていた。元の夫婦がポールを連れ去ったり連れ戻したりしているのも愛情からではなく、相手にダメージを与えるためだけにそうしているにすぎない。
ポールの両親は頼りにならず、これからもかれらが人間的に向上するなんてありえない。スペンサーは放っておけなくなる。それにどこかこの少年が好きになっていた。恋人の精神科医スーザンに相談すると、よっぽどの覚悟がなくてはできるものじゃないと反対された。それでも彼はポールを自立させるために一からすべてを学ばせようと決意する。私立探偵は少年にいう「きみが今のくだらない家庭生活から抜け出る途は、早く大人になることだ」と。こうしてスペンサー流の人生のトレーニングが始まる。
スペンサーの見たポールは、これまで行動の仕方を一度も教えられていない、なにも知らないし、知ろうとする意欲もない、誇りがない。得意なことはなんにもない、テレビ以外に関心事はないという状態にあった。ここからポールを脱出させなくてはならない。危惧するスーザンにスペンサーはいう「自分が知っていることを教えてやる。おれは大工仕事を知っている(スペンサーの父親は大工だった)。料理の仕方を知っている。殴り方を知っている。行動の仕方を知っている」と。
スペンサーはいやがるポールをスーザンの持つ田舎の土地に連れて行き、そこに家を建てようと計画する。だからポールは学校のない日であっても朝早く起きなければならない。スペンサーは力づくでポールを起床させ、朝食をつくってやる。どうしてむりやり起こすのかと問うポールにスペンサーは「理由は二つある。一つ、きみは、正常な状態というものを知るために、なんらかの構造、スケジュールに基づく生活が必要だ。二つ目は、そのうちにいずれやらなければならないのがわかっていた。どうせなら早い方がいいと思ったのだ」と答えるのだった。
スペンサーはポールにジョギング用のシューズとウエアーを買いあたえる。走れないと口にするポールには習えばいいと切り返す。走るには事前のストレッチやアップ運動も必要だと教えたがポールにはその意味がわからない。屈伸運動はなんのためと訊くので背中の下部とももの裏のこわばった筋肉をほぐすためだと答えてやる。ゆっくりと走る。疲れたら歩く。
走るのにくわえて殴り方も教えた。木の枝にヘヴィ・バッグが吊るされ、幹にはスピード・バッグが取り付けられる。ウェイト・ベンチも持ち上げなくてはならない。どの動作もぶざまでおそるおそるやっている。そのポールをスペンサーはだんだんとほぐしてゆく。運動の前に筋肉をほぐして身体が動けるようにする。やがて走る距離もだんだんと伸びる。パンチの打ち方もすこしはさまになり、筋肉も付く。その過程は、閉じてこわばった精神をほぐし、社会で自立できるようにすることとどこかで繋がっている。
ひと夏をともに過ごしたそのクライマックスは家の竣工だ。はじめ「ぼくは家なんか建てたくない」といって大工仕事を厭うポールにスペンサーは「おれは手助けが必要だ。一人ではやれない。自分の手を使って働くのはいいものだ。きみも気にいるよ」と説得しなければならなかった。そのポールが「二人で建てられるとは、夢にも思わなかったよ」という。スペンサーは「五マイル走れるようになるとも思わなかっただろう?」「あるいは、ベンチプレスで百五十ポンド挙げられるとも?」と応じるとポールは「そう」とうなづく。
ひと夏の経験のなかでポールは自分の希望と将来像を描くようになり、スペンサーはその実現のために尽力してやる。そのかんにはハードボイルド小説らしく父親の関係する犯罪や暴力事件、母親の浮気などが絡むのだが、ポールの描く将来像と犯罪、暴力事件は読んでのおたのしみとしよう。
生まれたときから愛情の一片もかけられないまま十五歳になった人間がどんなふうにして人生を自分のものとするようになったのか、そのためにスペンサーが用意した人生のトレーニングのメニューの意味を確認しておこう。
まずスペンサーがポールに教えたのはスケジュールに基づく生活だ。それは正常な状態とはどういうものであるかをポールに認識させた。そのスケジュールに組み込まれたのはジョギングとパンチの練習と家を建てる作業だった。ジョギングとボクシングによる身体の鍛錬には日々すこしでも走る距離を伸ばし、パンチのスキルを高めようとする向上心の醸成が期待されている。ポールにとってジョギングもパンチも自分との闘いである。その闘いで流された汗は打ちひしがれ、かたくなになった心をやわらげ開かれたものにしてくれていた。家を建てたのはポールに大きな達成感をもたらした。同時に自身がスペンサーにとって必要とされている人間だとの思いを実感させた。ポールにとって他者から必要とされていると感じたのはこれまでの人生ではじめての経験であり、かれに自信と自己肯定の感情をもたらしていた。
「おれたち二人でやれる。おまえはある程度の誇りを抱き、自分自身について気にいる点がいくつかできる。おれは手助けができる。二人でやりとげることができる」。ある日、スペンサーがポールに語った言葉だ。スケジュールのある生活、ジョギング、ボクシングの練習、家を建てる、いずれもそこにたどり着くための道筋だった。
「ある程度の誇り」「自分自身について気にいる点がいくつか」。これらは親がそして周囲の大人が子供の人生のために手助けしてやれる最高のものなのではないか。

附記。クリント・イーストウッドが監督、主演した映画「グラントリノ」の宣伝コピーは「俺は迷っていた。人生の締めくくり方を。少年は知らなかった。人生の始め方を。」というものだ。朝鮮戦争に行き、フォードの工場で働き、いまは年金暮らしをしている老人が、ラオスから来たモン族の少年と出会い、風変わりな友情を温めてゆく。
『初秋』のポールの両親にあたるのが「グラントリノ」ではポールをいじめる少年たちだ。老人はこの少年たちに対峙しながら「人生の始め方」を知らない少年になにを教えたか。この映画は物語の構造という点においてイーストウッド版「初秋」にほかならない。