「ブリッジ・オブ・スパイ」

ブリッジ・オブ・スパイ」を観てむかし小林信彦さんが「ジュリア」を評して、公開即名作の仲間入りとなった作品と書いていたのを思い出した。おなじ評言がふさわしいスティーブン・スピルバーグ監督の新作である。
冷戦時の捕虜交換の秘話をユーモアとペーソス、アイロニーと深い余韻とともに甦らせた本作がこれまでの同監督作品に比較して陰影の濃さや彫の深さに勝るのはおそらくジョエルとイーサンのコーエン兄弟による芯の強さと技を具えた脚本がもたらしたものと思われる。

米ソ冷戦下にある一九五七年のニューヨーク、ルドルフ・アベル(マーク・ライアンス)という男がソ連のスパイとしてFBIに逮捕され、ジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)が国選弁護人に選任される。保険の分野で実績を積み上げてきた弁護士だが、ニュールンベルグ裁判では検察側の一員として参加していて刑法関係にも通じており、なによりも堅実で信頼できる人柄が選任の決め手となった。
しかしドノバンにとってはありがた迷惑な話だった。家庭には良妻賢母型の妻メアリー(エイミー・ライアン)と二人の子供、そして庭付き一戸建てに電化製品が揃う絵に描いたような五十年代の理想的中流家庭に風波は避けられそうもない。
死刑を当然とする社会的圧力がある。敵国の人間を弁護することへの非難もある。しかも職務の遂行とともにそれらは高まってゆく。くわえて政府機関のCIA職員からはアベルとの接見内容を告げるよう迫られる。それに対しドノバンは職員の名前がドイツ系であることを確かめたうえで、自分は両親ともアイルランド出身で、ドイツ系とアイルランド系をともにアメリカの市民として繋いでいるのは合衆国憲法だけなのだと語り要求を拒否する。彼のバックボーンを示す挿話だ。
裁判の結果、被告は死刑を免れ懲役三十年の刑に処せられた。その過程でドノバンは、死刑が予想されてなお米国への協力を拒否して自身の信念に忠実であろうとする被告の姿に感銘と共感を覚える。思想も立場も異なるけれど、それは自分もこうありたいと考える人物像にほかならなかった。
判決が申し渡される直前、ドノバンは裁判長との私的な会話で「保険に携わる弁護士として、保険というのはおよそ考えられない事態が出来してもなお手許に切り札がなければならず、アベルを死刑にしてしまうと何かのときの切り札はなく、保険がかからなくなることを申し上げておきたい」と語る。これが予言となったかのように、ソ連を偵察飛行していたパイロット、フランシス・ゲイリー・パワーズが捕らえられる出来事が起こり、アベルパワーズとの交換という事態が浮上する。(交換の場所となったのがハーフェル川にかかる、西ベルリンと東ドイツをつなぐグリーニッケ橋=「ブリッジ・オブ・スパイ」だった)
政府はドノバンに捕虜交換についての水面下での交渉を委嘱する。くわえてベルリンの壁が築かれた東ドイツにはアメリカ人学生が拘束されていた。
丹念に設計された美術効果とブルーグレイを基調とする映像が冷戦の雰囲気をよく醸し出している。
役者陣、わけてもトム・ハンクスの実直でしたたかな一面を具える弁護士とマーク・ライアンスの飄々にして哀しみを湛えたスパイの人物造形が出色だ。
手を叩きたくなる、そして心の琴線に触れる映画だ。
(一月九日TOHOシネマズスカラ座