「ストックホルムでワルツを」

マシュー・マコノヒーの「リンカーン弁護士」を、わたしはリンカーン大統領の弁護士時代を描いた映画だろうと思い、さほど関心がなかったのでパスしてしまった。ところがあとでよく出来たミステリー作品と何かの記事で読んでDVDで観たところ、なるほど批評にあった通りで、スクリーンでの機会を逃したのが残念だった。
リンカーン大統領の前身は弁護士ではないから、当方の無知と情報不足は否めないけれど、副題を付けるとかしてリンカーンの伝記映画といった誤解を避ける方策はなかったのかな。
おなじく「ストックホルムでワルツを」がモニカ・ゼタールンド(1937-2005)の半生を描いた作品とは思いもよらなかった。たまたま週刊誌の紹介記事を見てわが家のCD棚にあるスウェーデンの美人ジャズシンガーの物語と知れたが、あやうく見逃すところだった。原題は「Monica Z」。これだともしやモニカ・ゼタールンドかも知れないと確かめただろう。「ストックホルムでスウィングを」や「ストックホルムのワルツ・フォー・デビー」とかにしてくれていればさっそく飛びついたにちがいない。映画ファンはもちろんジャズの好きな方も要注意です。

わたしが知るモニカはわずかに、北欧の女性ジャズヴォーカルを代表する存在、英語にくわえスウェーデン語でジャズを歌う歌姫、そしてビル・エヴァンスと共演した名盤「ワルツ・フォー・デビー」のアーティストといったところだったからこの映画にある、六十年代はじめ、スウェーデンの小さな田舎町で両親や五歳の娘と暮らすシングルマザーが電話交換手の仕事をしながらジャズクラブで歌手活動をしている姿なんて思いもよらなかった。
やがて「黒人のソウルをもちながらスウェーデンの深い森からやってきた金髪の女性」はニューヨークでステージに立つというチャンスに恵まれたが、黒人のピアノトリオと白人女性との共演が嫌われて大失敗に終わり、あこがれのエラ・フィッツジェラルドからは「自分らしい歌を歌ったら」と厳しい批判を浴びた。
父親は若いころの一時期トランペットを吹くミュージシャンだったらしく、音楽で生活するむつかしさをいやというほど知っていた。だから娘には早くジャズ歌手を断念して地道で着実な生活をするよう苦言しつづけ、そのため父娘のいさかいは絶えなかった。
「子供の頃、高い樹に登ろうとして、他の子供は危険を察知してみんな途中から下りたのに、おまえだけはそうしなかった。どうしてもっとまっとうな判断ができないのか」と怒る父に娘は「私は外の世界を見たい、樹の上に登ると新しい世界が眺められる」と反撥した。
奔放でわがままで、パートナーとなった映画監督との関係もうまくゆかず、酒とたばこに溺れるモニカだったが、ジャズだけは離さなかった。ある日、彼女はビル・エヴァンス・トリオの「ワルツ・フォー・デビー」に魅せられて、自分で製作した同曲のデモテープをビル・エヴァンスに送る。知らずしらずのうちに彼女は樹上から眺めた新しい世界に入って行こうとしていた。
物語を彩るジャズの名曲の数々、六十年代のストックホルムのたたずまい、北欧デザインの車やインテリアやファッションなどたくさんの聴きどころ、見どころがあるのがうれしい。
監督はペール・フライ。
エッダ・マグナソン(モニカ・ゼタールンド)、スペリル・グドナソン(ベーシストでモニカのよき理解者ストゥーレ)、シェル・ベリゥクビスト(モニカの父)らこれまで知らなかった役者陣にも好感を持った。モニカ役に抜擢されたエッダ・マグナソンはシンガーソングライターとして活動していたそうだが、この映画で魅惑の女優ならびにジャズシンガーでもあることを証明した。

余談でありますが、上のモニカ・ゼタールンド+ビル・エヴァンス・トリオ「ワルツ・フォー・デビー」にIn The Nightという曲が収録されていて、スウェーデン語のOn Nattenという標題がカッコ書きで示されている。歌い出しはささやくようなOn Natten、これが「女ってー」と聞こえて、聴くたびにわが官能にさざ波が寄せる。未聴の諸兄、お試しあれ。
(十二月九日ヒューマントラストシネマ有楽町)