「十七歳」

フランソワ・オゾン監督「十七歳」は前作「危険なプロット」とおなじく十代後半の若者の怪しく不穏な心理を織り込んだミステリアスな物語だ。
パリの高校に通う十七歳のイザベル(マリーヌ・ヴァクト)は、夏のバカンスでドイツ人青年と初体験をあっけなく済ますと秋には年齢を二十歳と詐称し、SNSで知り合った男たちと「援助交際」をはじめる。経済的にも文化的にも恵まれた中流家庭で、母は前夫と離婚し再婚しているが、ともに暮らす継父との関係は悪くは見えない。
放課後ホテルへとむかい三百ユーロで躰を売る十七歳。危険なゲームとはわかっていても繰り返してしまう。客との床でイザベルはなにを思うのか。背徳のベッドは性とエロスについての自信と不安を扱いかねているところに忍び込んだ厭世や自嘲と結びついているようだ。

やがて彼女の行動はとんでもない事件を引き起こすか巻き込まれるかして明るみに出るというのがこの種の物語の定石で、じじつ秘密が顕現する過程のサスペンスはこの映画の持ち味となっている。
ある日、何度かベッドをともにした六十代後半とおぼしい男ジョルジュが、行為の最中に心臓発作で息を引き取ってしまう。思わずホテルから逃げ出したイザベルだったがまもなく警察の捜査で事情は明らかになり、家族の知るところとなる。
ここでイザベルの前に現れたのがジョルジュの妻で、二人はジョルジュが最期を迎えた一室で向かい合う。道徳に縛られた善悪や可否を超えた両者の対話は暴走と隣りあう十七歳の自由な行動になにかをもたらした。それを自己をコントロールする萌芽と言ってみたい気がするが確信はない。DVDで観るときはここのところを丹念に追ってみたい。いずれにせよ溶けあったり反撥しあったりしているイザベルのJeune(若さ)とJolie(可愛さ)は新しい段階を迎えた。
ジュルジュの妻にオゾン作品の常連で、これまでしばしば背徳の女を演じてきたシャーロット・ランプリングを配したのは絶妙のキャスティングで、かつての夫人の姿に十七歳のイザベルが重なる。
原題はJeune&Jolie。
ついでながら映画の中でイザベルが通っているのはアンリ4世高校といって、シモーヌ・ヴェイユサルトルが学んだパリの超名門校だそうだ。イザベルのクラスでの授業にはここの生徒も出演しいてフィクションとはいえ売春する生徒が在籍する高校にロケを許可した校長先生は偉い。

(二月十八日シネスイッチ銀座