読書がスランプ・・・

都筑道夫の読ホリディ』は「ミステリマガジン」1989年1月から2002年9月まで連載された読書随筆で、毎月数冊批評されるミステリーをたどってゆくとおのずとこの世界の動向や底流の理解につながる。初期でいえばトマス・ハリス羊たちの沈黙』やジョナサン・ケラーマン『殺人劇場』などの異常な連続殺人ものが扱われる。これらについて著者は「現実はどんどん複雑になって、とくにアメリカでは避けて通れなくなっている。現代人がどうして、狂っていくのか、正常な人間にわかるはずはない、と推理小説も、いっていられなくなったのだ」と述べて、新しい潮流の意味を解く。

同書上下巻のうち七割ほど読んだところでチェックしておいた未読のミステリーのうちAmazon古書の超廉価本を十冊注文し、最初に届いたいかにもイギリスふうのユーモア犯罪小説に取り掛かったが文庫本250頁ほどであえなく挫折。他にも手が伸びず、急激なスランプに陥ってしまった。
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大河読書随筆『都筑道夫の読ホリディ』に、戦争中、東条首相が、聖戦の完遂をカンツイ、未曾有の大戦をミゾウユウというのに、だれも注意できなかったとあった。そういえばいま副総理、財務大臣の任にある何とかという方も首相在職中に同じようなまちがいをして指摘されていた。
エライさんのまちがいを指摘できなかった戦時中と指摘できるいま。戦後民主主義の成果というべきか。
肚のなかで「言いまつがい」を嗤わているより、指摘を受けるのはどれほどかありがたい。ならば、おまえは、親しくもない人が、団塊の世代をダンコンと言っていたのを指摘したかといえば、わたしはしなかった。頼まれもしない忠告を買って出るばかにもなりたくない。人間交際のむつかしさのひとつである。
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無気力状態に陥って本を読む意欲が湧かない。ときどき急に本が読めなくなったり、映画を観る気力が失せる。本と映画双方に無気力になったことはなく今回もしっかり映画やDVDは鑑賞できていて、きょうは「ロー&オーダー」一篇と「知りすぎていた男」を観た。
「知りすぎていた男」ほどになるといまさらネタバレなど関係ないだろうから書いちゃいますね。子供を誘拐した偽牧師夫婦だが、記憶では最後に妻のほうが子供を守り銃弾の犠牲になるように思っていたが、そうしたシーンはなく、あれっ?だった。感傷と郷愁は増し、勘定と記憶の力は衰えつつある。
いま読書欲はないが食欲はある。そっと申し上げるが、小生、生まれてこのかた食欲が減退した経験はない。病中にあっても食欲とは関係しなかった。大食ではないし好き嫌いもなくはないが食べろと言われれば何でも食べる。身内はいい歳をした大人の品性を欠くと言う。
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舟を編む」の松田龍平の馬締くんは、はじめ大手出版社の営業部に在籍していた。この部署ではぜんぜん有用な人材ではなかった。ところが辞書編集部に転勤すると、だんだんと水を得た魚のように力を発揮する。営業では鈍重だった性格が辞書作りではきまじめ、粘り強さになる。
組織にはいろいろな業務があり、人事異動、配置転換の妙が問われる。ところが世の中には業務の種類専一の職業がある。どこに配置されようがやることはおなじで、専門職などと呼ばれる。わが国の専門職でいちばん多数を占めるのは学校の先生だろう。
いったん就職して教えるのに不向きとなると教える方、教わる側ともに難儀だ。先生に馬締くんのような人事異動はない。年月を重ねて改善されるならまだしもで皆がみなそうもゆかない。政治学者の京極純一先生が「天分のある教師が稀であるのに、巨大な学校体系が沢山の教員を必要とする」と書いていたのを思い出した。
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樋口一葉ゆかりの地のひとつ本郷菊坂界隈を散歩した。ここには彼女が通った伊勢屋質店跡や借家跡の井戸がある。

先日来無気力症候群で本を読んでいないので、ひとつ散歩をして気分を高めて和田芳恵『一葉の日記』に取りかかってみようと思いいたり、帰宅して頁を開いてみたがあえなく挫折。
和田芳恵『一葉の日記』には一葉の父の大吉と母あやめが江戸へ出て来た事情やそのとき世話になった郷里の先輩真下専之丞のことなどが細々と記述されている。真下専之丞には、正妻には子がなく、妾腹の二男二女がいただとか。読書快調のときはこうした脇筋の人物のディテールも面白いと思うのだが、不調のときは、細かな記述に頭がついていかない。本が読めないのはわたしのばあい、それだけ頭の働きが不活発で、もともと繊細でもない神経が一層荒んでいる状態をいう。経験からすればもう少しで回復するはずなのだが。
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シネマヴェーラ渋谷で「キートンの大列車追跡」と「パームビーチ・ストーリー」を観た。ともに既見だがこういう魅力的なブッキングは堪えられないな。前者は何十年か前にはじめて観たときは「キートン将軍」の題名だったが、近ごろでは「大列車追跡」で定着しているのかな。
ネット上に「大列車追跡」DVD106分とあったが、ほんとうにそんなロングバージョンがあるのだろうか。なかには御丁寧に、サイレントの長尺なのでややもたれるものの、といった文言があったりする。今回観たのは69分、架蔵する廉価版DVDもそれくらいのものだ。106分版あれば教えて下さい。
「パームビーチ・ストーリー」のほうもむかしは「結婚五年目」という題で知られていた。プレストン・スタージェスは観てないはずはないのにと思っているうちに、そう、いまは「パームビーチ・ストーリー」なんだと気がついた。クローデット・コルベールは「或る夜の出来事」が1934年、本作が42年。ともに元気溌剌。
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貴田庄『原節子 わたしを語る』を読みはじめ、半分ほど来たところでようやく読書欲が湧いてきたのを実感した。原節子の言葉をもとに註釈的なコラムが綴られたこの朝日文庫の新刊は掘り起こされた原節子の言葉が興味深いし、素敵な写真も載っている。初めて見た71頁にある和服の事務員に扮した雑誌のポートレートは眼福だった。

成瀬巳喜男浮雲」が小津安二郎に衝撃といってよいほどの刺激をもたらしたことは高橋治『絢爛たる影絵』等でよく知られているが、原節子にとっても刮目に価する作品であったと本書ではじめて知った。
原節子は「浮雲」の高峰秀子について「あのたたかれても踏まれても、男にすがりついて生きていこうという女性の執拗な情熱、ああいう性格の表現は私にはとても不可能のような気がしましたわ」と語る。貴田庄によると人のことをほとんど語らない原が自分にこと寄せて語る、それだけで異例だった。
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貴田庄『原節子 わたしを語る』読了。ようやくスランプから脱出できたようだ。畏れ多くも原節子を回春剤にするなんて!
そういえば日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』に、マキノ正博監督の弟で、東映の専務、プロデューサーだったマキノ光雄が満場のパーティで原節子をつかまえて「節っちゃん、いつになったら、やらしてくれるんだよ」などとカマしていたという話があった。これに較べれば秘かな回春剤などなにほどのこともないか。
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1964年の東京オリンピックは、焼け野原から二十年で立ち直り、平和な国に生まれ変わった日本を見てほしいという素朴な情念があった。いまのように経済のカンフル剤になればよいなどと公言する人はいませんでした。日本人はいつからこんなに卑しくなったのか、と武道家で哲学者の内田樹先生が言っていた。

内田樹先生の言葉は見識を示している。いま振り返れば東京オリンピックは戦後の輝きの集大成の印象がある。経済のカンフル剤として期待されるオリンピックに三丁目の夕陽の輝きはない。IOCの体質もずいぶん卑しく変わったようで、昔はいまほどカネまみれではなかったのではないか。こうしてIOCとオリンピックの性格の変化から経済のカンフル剤五輪が導き出されてなんの不思議はない。過度の理想など追わずにオリンピックとはそうしたものだくらいに考えておいたほうがよい。
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ザ・インタープリター」で国連の通訳官ニコール・キッドマンが故国のアフリカ某国の大統領を評して「多くのものを与え。それ以上のものを奪った」と語る。革命家が変じて独裁者となるのは史上ときに見られる現象である。全体主義国家は常套の政治手法として民衆の不満をそらし権力への忠誠度を高めるために対外面での緊張を煽ろうとする。また軍事パレードやマスゲームで一糸乱れぬ統率力を誇示し威信を高めたと自己満足する。国家でなくてもマスゲーム大好きな組織にはご用心である。
梁塵秘抄』という後白河院の編んだ今様アンソロジーがある。和歌の勅撰集に代えるものだったが、ココロはおなじ共同体を寿ぎ、人心収攬を図ろうとするものだった。丸谷才一は言う「武力を持たない国王は主として呪術的なものによって一国を治めやうとした」と。和歌と管弦で以て世をおだやかなものにしようとしたのである。(『別れの挨拶』)
ヘンテコな軍事パレードやマスゲームはもちろんローマ皇帝主催の見世物から勅撰集までそれぞれ政治的思惑があり、人心収攬という点で一つらなりとなっている。その上で和朝の文化を讃えよう。ちなみに丸谷氏は現代の宰相たちの手っ取り早い人心収攬術としてオリンピックとサッカーのワールドカップを挙げる。二度目の東京オリンピックは宰相たちの思惑通りになるだろうか。ハイパーインフレ増税で怨嗟の的となる危険性だって否定できない。
人生続いていればの話だけれど、生涯で二度、東京オリンピックを経験する。はじめのときは田舎の中学生だったわたしだが、次には七十歳の老爺として開会式の会場で呆けていたいと願う。