オールド・ローズはバレリーナに似て

イマジカBSデヴィッド・フィンチャー監督の特集をやっていて「ハウス・オブ・カード 野望の階段」シーズン1と2を一気に放送してくれた。元版のイギリスBBC製作「野望の階段」は見ていてアメリカ版もそのうちにとBlu-rayに録画してあったが映画を優先しているうちそのままになっていた。
一気放送の機会にもう一度ハードディスクに入れて、シーズン1全十三話を見終え、ただちにシーズン2に突進、夏炉冬扇というか時期遅れのわが日記だが、いやー、これは面白い。騙しはできても騙されずだったはずの大物議員(ケヴィン・スペイシー)が大統領から約束された国務長官のポストを反故にされるところからはじまる復讐劇にして政界版「仁義なき戦い」で、現時点の観測ではさらに政界と政治ジャーナリズムの戦いが本格化しそうだ。

見事なストーリーテリングにくわえロビン・ライトケイト・マーラたち女優陣がよい。ロビン・ライトは「消されたヘッドライン」でもそうだったが一癖あるセレブの妻の役がまことによく似合う。それともう一人議員スタッフ役のクリステン・コノリーに注目していたのだが、ロビン・ライトの陰謀で解雇されちゃった。調べてみると二0一二年のいずれもホラー映画「キャビン」と「ザ・ベイ」でメインキャストに配されているからそのうちお会いできるだろう。
アメリカではシーズン3が配信済みで、シーズン4の製作が決定している。ネットで探ってみたが日本ではシーズン3がいつ、どこから配信されるか未定とのことで、やきもきするねえ。わが家の都合でいえばこれまで通りイマジカBSさんにお願いしたいな。
「ハウス・オブ・カード」はネット配信会社が製作している。テレビ局のばあいと異なりスポンサーや差別語狩りに血道をあげるような「正義の味方」に右顧左眄する必要がなく、仮にそうした視聴者がいれば、お気に召さなければ配信契約を止めてくださいで済むから、「衆愚にこびず、俗論に迷わされず、毅然たる自信」(吉田茂チャーチルを評した言葉)で臨めるという強みがある。
      □
ようやく『西園寺公望伝 』(立命館大学岩波書店)本文全四巻読み終えた。別巻資料篇として二巻あるが、わたしの学力では利用し難く、とりあえず一休みとした。
歴史の面白さという点では同時代のライヴ中継である原田熊雄述『西園寺公と政局』に敵わないけれど、原田日記の偏差を測るには有用である。
西園寺は嗣子八郎に宛てて、デスマスク、死顔の写真は絶対不可、伝記編纂すべからず、私書、報告類すべて焼却といった遺言を残していた。秘書原田熊雄によると毎晩毛筆で日記をつけており、じつに大部のものであったが、亡くなる少し前に焼き捨てている。おそらく原田日記と重なるところ大であろうが、歴史好きにとっては惜しまれる。
一九四0年(昭和十五年)西園寺が亡くなったとき、徳富蘇峰が「自由主義が世の中に未だ全く行はれぬまでは、公は世の中に先んじた。然も自由主義が世の中から取り残された後は、公も亦た取り残された」と述べている。ファシズムマルクス主義、近代の超克などが交錯するなかで自由主義は過去のものとされた時代の雰囲気がよくわかる。
晩年の西園寺は「どうも甚だ不吉なことだけれども、明の亡びる時はちゃうど今の日本と同じで、識者がたくさんをつても、みんな黙つてをつて、いかにも団結がなく、聯絡がないといふことが弱点だつた」と語っている。
第一次近衛内閣の途中あたりからときに亡国の予感を懐くようになっており、明朝の滅亡を例示して、言論の衰退は亡国の度合を測る尺度とした。歴史に疎いので具体の話は知らないけれど明朝の言論抑圧と社会の混乱と権力への怯えから人々が口を閉ざしたことが亡国につながったと見たわけだ。
自民党の会合で、マスコミを懲らしめるには広告料収入を断つのが一番といった発言が相次いだのは記憶に新しいが、自民党は一年の役職停止とした木原稔前青年局長の処分期間を三カ月に軽減したと発表した。安全保障関連法の国会審議への影響を懸念して処分をしたが法案の成立で一安心といったところか。議員諸公も明朝の言論弾圧のやり方を学べば益するところがあるのではないか。
      □
何人かの個人全集、著作集に手を出してみたが、これまで通読したのはただ一人、柴田宵曲のみだ。新旧二つの全集をもつ永井荷風については歌舞伎の脚本を主に読み落としがいくつかある。柴田宵曲の畏友森銑三の著作集正続は宵曲の著作集とともにわが書斎の宝物的存在だが、通読は断念している。
柴田宵曲には著作集未収録の随筆、人物回顧を集めた小出昌洋編『随筆集団扇の絵』が岩波文庫に収められてあるのが嬉しい。
なかの一篇「放鳥」では役人生活の愚かさに陶淵明が秋来月を見て籠から鳥を放った故事に「鳥を放つという事柄の上に、放つ人の境遇なるものが濃い影を投げている」と述べ、これに『山家鳥虫歌』の「あひた見たさは飛立つ如く籠の鳥かや恨めしや」「籠の鳥ではわしやござらねど親が出さねば籠の鳥」が続く。
先日のヨーロッパの旅では同書を携行して十数年ぶりに通読し、その博覧強記と着想の妙と達意の文章にあらためて感嘆久しゅうした。
      □
十一月二十六日原節子さんの訃が報じられた。哀悼の意を表します。享年九十五歳九月五日の命日は小津安二郎監督の一九0三年十二月十二日に生まれ、一九六三年十二月十二日に亡くなった数字の端正に対応しているようだ。
さっそくNHKBSで「東京物語」が追悼放送された。はじめて観たのは三十前だったか、以来今度で十回に届いたかもしれない。
浄土寺、ポンポン船など尾道の風景を目にしながら、二十年ほど前に映画の好きな中年男三人でここを訪れ、ロケ地を丹念にたどったのを思い出した。玉木研二『その時、名画があった』(牧野出版)にあるように「名画は常に多様な解釈を包容する。映画好き同士の酒の席で『東京物語』は尽きせぬサカナ」、わたしたち三人も夜はこれをサカナに酒を酌み語り合ったのだったが、一人は既に故人となった。

今回気付いたことをふたつ。
ひとつは母親が亡くなり、葬儀のあと家族だけで語らうシーン。しんみりしているところで長女の杉村春子が「こう言っちゃなんだけど、お父さんが先に逝ってくれたほうがよかった」と口にする。また、母の思い出を語っていると、おなじく長女が欲しい形見の品を挙げる。小津は寂しくしめやかなところを杉村春子で転調させてリズム感を出している。
もうひとつは次女の香川京子が長女の持ち出した形見の話や葬儀のあとすぐに帰京した長男長女への不満を憤懣やるかたなく義理の姉である原節子に訴える。ここで原は次女の激情をやんわりと受け止める。
そのあと次女が勤めに出て、亡き次男の嫁である原と義父の笠智衆とが言葉を交わす。
「実の息子や娘よりいわば他人のあんたのほうが、わたしたちにずっとよくしてくれた、ありがと」「わたくしずるいんです」と語りあううちに原の感情が抑えきれなくなり、それを笠智衆がやんわりと受け止める。その感情の吐露は直前に義妹の憤懣を受け止めたことが大きく作用しているようだ。
玉木研二前掲書によると「東京物語」は一九五三年(昭和二十八年)の十一月三日に公開されている。六十二年前の文化の日である。著者は長女志げ(杉村春子)こそ荒々しい戦後復興のエネルギーを象徴したと思うとしたうえで原節子の紀子も「尾道で『過去』に区切りをつけ、志げとはまた違う姿勢で新たな時代を生活者として歩む決意をしたのではなかったか」と言う。ラストの列車の行方の一解釈だ。
      □
十月末にブリュセル郊外のシント・ピータース・レーウという小さな町にあるコロマバラ園を訪れた。月末で今シーズンは閉園なのでかろうじて間にあった。わたしのガイドブックには記載がなかったが、十五ヘクタールの敷地に三千種二十万本のバラが植えられているヨーロッパ最大規模のバラ園で、周囲のプラタナスの並木道を含めじつに素敵なところだった。

折よくNHKBSでバラの特集番組があった。花と人間の関わりも探っていけばなかなか興味深い。あるイギリスの育種家が「オールド・ローズは静かな美しさを持っています。仄かな香りを漂わせながら優雅に舞う私専属のバレリーナのようです。派手なコーラスガールとは違います」と語っていた。味な言葉に、栽培の難しさは恋にも似て、と付けたくなった。
番組では「わらべは見たり、野なかのバラ」というゲーテの詩に曲をつけた、その曲が百五十にものぼるそうで、同曲の日本人コレクターの努力が実ってドイツでコンサートが開かれたことも紹介されていた。