快走の朝

ゴールデンウィークを前にしてことしいちばんの快心、快走のジョギングの朝。晴れてほどよい気温、爽やかな空気のもと一時間ほどの走りに汗はない。本郷通り駒込へ向かい、田端、西日暮里、谷中、そうして三浦坂を下りて根津へ出るというのがいつものコースだ。なかで三浦坂は自宅近くにある数ある坂のなかでも大好きな坂だ。坂名は三浦備後守屋敷前に由来する。中坂の別名があるが、これは団子坂下から西に上がる三崎坂と言問通りの一部をなす善光寺坂にはさまれているところから来ている。

寺山修司の原作を羽仁進が監督した「初恋・地獄篇」で主人公のシュンがこの坂を往き来するシーンがある。一九六八年に公開されたこの映画を、地方の高校生だったわたしはなぜか封切り時に観ている。すこし前衛っぽいものへの関心が芽生えていたのだろう。いま観ると四十年以上前の上野、谷中界隈のロケが貴重であり、そしてあの映画の主人公があるいた三浦坂が自分のいつものジョギングコースになっているなんてとめぐりあわせの不思議を思う。

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久しぶりに神保町の古書会館へ出向き、野村無名庵『落語通談』、小原直『小原直回顧録』、坂本太郎史書を読む』(以上中公文庫)、安岡章太郎『私説聊斎志異』(講談社文芸文庫)、清水勲編『近代日本漫画百選』(岩波文庫)の五冊を買った。いずれも二百円。旺文社文庫子母沢寛『愛猿記』二百円も手にしたのだったが、猿に関心とてなく、千円という切りのよいところでと思って止した。
ところが帰宅して本棚を眺めているうちにアルゼンチンの詩人レオポルド・ルゴーネスが書いた「イスール」が目にとまった。倒産したサーカスからイスールという名のサルを買った「私」がサルに言語訓練をほどこそうとする短篇小説だ。
「私」はジャワの原住民たちが、サルがことばをしゃべらないのは能力がないからではなく、しゃべるまいと自らに禁じているからだといっているのを記憶している。はじめは軽く受けとめていたがだんだんとそのはなしは「私」のかかで人類学的仮説にまで膨らんでゆく。
サルとはなんらかの理由で話すことをやめてしまったヒトではないのか。かくして唇と舌の訓練から発声訓練にいたるのだが三年経過してもうまくいかず、それがある晩、家の料理人が「私」のところへやって来て、イスールがことばを話しているのを見かけたと言い出した・・・・・・。
このサルの御縁から和田誠さんのショートショート「おさる日記」を思いだしこちらも読んだ。進化論をからかったブラックユーモアの名篇だ。
こうなると気になるのが『愛猿記』で、昼間どうして買っておかなかったのかといささか悔やまれた。子母沢寛はサルとどんなつきあいをしていたのだろう。つぎに『愛猿記』を見かけたら買わなくちゃ。
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ゴールデンウィークの時期、近くの根津神社は観光スポットとなる。御利益と景観とつつじ祭りがセットになるのだから当然のなりゆきであろう。ことしは寒さがつづいたせいで満開には少し間のある咲き具合だが、いずれにせよ桜の花が散り尽くす四月下旬からはこの花の季節となる。
 
明治四十四年(一九一一年)に刊行された若月紫蘭『東京年中行事』によればつつじといえば昔はすぐに大久保を連想したものだったとある。江戸時代百人組の武士が慰みに栽培したのがはじまりで、それを引き継ごうと明治十六年には有志により大久保躑躅園が開園した。
この大久保のつつじを「鉄道唱歌」や「故郷の空」「青葉の笛」の作詞者として知られる大和田建樹は「躑躅咲く大久保わたり今しばし車の道のいそがずもがな」と詠んでいる。
ところが明治三十六年に日比谷の原に公園ができて、ここに大久保のつつじの大半が移し植えられてしまう。そのため明治の末年にはつつじは大久保ではなくていて、日比谷公園の呼びものとなった。
それでも関東大震災で麹町の自宅を焼け出された『半七捕物帖』の岡本綺堂が翌大正十三年三月に麻布の避難先からここ大久保百人町の仮住まいに転居していて「風呂を買うまで」と題した随筆に「庭の桜はあわただしく散って、ここらの躑躅の咲きほこる五月となった」と書いているところを見ると、このころにもまだつつじの花は多く咲いていた。
若月紫蘭はこの花の名所として大久保と日比谷のほかに四谷見付あたりのお堀の土手、護国寺、本所四つ目牡丹園内、清水谷の名を挙げている。この記述からすると根津神社のつつじは後発だったことが窺われる。全国に眼を遣ると霧島や雲仙の名を聞くが、いま東京の躑躅といえば御近所のひいき目かもしれぬがまずは根津神社の名が浮かぶのではないか。花の名所にも変遷は避けられないけれど根津のつつじは神社が守護神だから強い。
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渋谷の喫茶店でダベったあとのんびりとユーロスペース五時からのアキ・カウリスマキ監督の新作「ル・アーブルの靴みがき」に行ったところ、たいへんな盛況というより大混雑の賑わいで、三月の新文芸坐岩下志麻さんのトークショーにつづきことし二度目の立ち見となった。

駅の構内で人の流れをよそに年配と若者の二人の男が立っているさいしょのシーン。二人の表情、目線、躯の向き具合などそのたたずまいにさっそくアキ・カウリスマキを感じた。
年配の男マルセル・マルクスは北フランスの港町ル・アーヴルの駅前で靴みがきを生業としている。若い男は助手格の仲間だ。マルセルには献身的な妻アルレッティと愛犬ライカが彼の帰りを待っている。アキ・カウリスマキの作品に欠かせないアルレッティ役のカティ・オウティネンは登場しただけで同監督の世界を実感させるのだから、たいしたものだ。
ある日、港にアフリカからの不法移民が乗ったコンテナが漂着する。たまたま港でマルセルはイドリッサという少年と出会い、警察の検挙をすり抜けた少年に手をさしのべてやりたいとの思いを抱いた。おなじ頃、アルレッティは医師より余命宣告を受ける。
マルセルの心に生じた波紋、それはまたこの夫妻を知る古い町の裏通りに暮らす人々にも及んでゆく。けれど、からりとして、それでいて情のかよいあう生活に動揺はない。それだけ人々の日常は岩盤の如くしっかりしており、丁寧かつ淡々と撮られた映像がそのことを証している。この頼もしさが「事件」に対処する力と知恵をもたらす。
小津の「長屋紳士録」では戦災の迷い子を長屋の面々が救った。「ル・アーブルの靴みがき」では裏通りの人々が黒人難民の子供を匿い母のいるロンドンへ送る。根っこに善意への信頼がある強固な生活が不治の病というもうひとつの「事件」に奇跡をもたらす。それは観客にとっては映画の至福のときにほかならない。
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東京の金環日食は七時三十五分がピークだ。日食グラスは買っていないがサングラスを通して雰囲気くらいは味わえるだろうと七時過ぎジョギングに出発。
弥生坂の近辺で立ち止まり空を見上げたところ、わたしよりやや年配の男の方が、まあ見てごらんなさいとおっしゃって、ボード状のグラスを貸してくれた。人情薄きこと紙風船のごとき世の中とはよくいわれることながら、この親切!ありがたく、またいたく感激。丁寧にお礼を申し上げ本郷通りに向かった。
駒込駅手前で何人かが西の空を向いている。どうして西向きなのだ?
近寄ると黒い大理石状のビルの壁面に映る日食を見ていると知れた。サングラスで見てもくっきりと金環が見られた。
田端から西日暮里へ。開成高校前の歩道橋を渡り富士見坂前まで来ると路上に朝日信用金庫さんがサービス用に配布した日食グラスが落ちていた。ありがたく拾わせていただき日食の名残を見ながら帰宅。