戊辰戦争の弾痕

わたしのアガサ・クリスティー攻略作戦、今月は霜月蒼氏がクリスティーの総決算と讃える『終わりなき夜に生まれつく』だ。

貧しい青年ロジャーズは呪いの噂のある「ジプシーが丘」に建つ廃屋に魅せられる。散策するうちに美しい娘エリーと知り合い、恋仲になる。エリーは富豪の娘で、彼女はロジャーズのために「ジプシーが丘」の屋敷を買い取り、改築してともに住みはじめたが、不穏な空気がただよい、そこに富豪の娘の友人でお目付役のグレタが絡む。

殺人事件が起こるのは七割ほど進んだところだが、サスペンスの盛り上げが上手でいささかの弛みもない。

語り手はロジャーズで、クリスティーの一人称となるとあまりにも名高いあの作品とおなじだから、開巻冒頭で例のテを使っているのだろうと思ういっぽう、それを見越して別のワザを用いているのかと心は乱れてしまうのだった。

本作はノンシリーズ作品だが、ジュリア・マッケンジー版のミス・マープルがテレビドラマ化していて、これまで見たマッケンジー版のうち最高作といえる出来栄えだ。

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JRの乗降は通常上野駅だが、きょうは「逃れたる彰義隊士に撃ちかけし弾の跡ある日暮里の寺」(東京新聞、読者投稿)の一首に惹かれ、日暮里駅から有楽町へ出た。わが好みの一角、谷中銀座を抜け、駅に向かう途中にこのお寺はある。

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「夕焼けだんだん」の名前がある谷中銀座の階段から眺める夕景は高層マンションのために魅力が減ったのが残念。近くには富士見坂があり、十年ほど前までは名前のとおり富士山が眺められたが、こちらも高層マンションで見られなくなった。

そんなことを思いながら戊辰戦争の弾の跡が残る経王寺(きょうおうじ)へ。明暦元年(1655年)当地の豪農冠勝利が寺地を寄進したことに始まるこの日蓮宗のお寺は、上野の闘いの際、彰義隊士をかくまったため新政府軍の攻撃を受けた。山門の弾の跡はそのときのものだ。

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帰宅時、上野駅から見た不忍池の夕景が美しく、夏に桃紅色の蓮の花が咲くのを準備しているような蓮の葉と池の水と夕映えがいっしょになって素敵な景色をもたらしてくれていた。歌よみならば一首詠んでみたいところだけれど……

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笠原十九司『[増補]南京事件論争史』(平凡社ライブラリー)を読んだ。

南京大虐殺」が広く知られるきっかけとなった本多勝一『中国の旅』を読んだのは一九七二年の同書刊行からまもなくのころだった。当時わたしは大学で、歴史学者として南京事件研究の先鞭をつけた洞富雄先生の授業を受講していて、講義の中心は南京事件についてだった。あるいはこの授業で『中国の旅』を知ったのかもしれない。

笠原本の巻末には事件関連の書籍出版の年表があり『中国の旅』が刊行されたおなじ年に洞富雄『南京事件』(新人物往来社)も刊行されていて、わたしは洞先生の講義と著書それに『中国の旅』で事件の概要を知ったのだった。

その後は同事件の研究書とは無縁で、南京での出来事は「まぼろし」だとか、なかったなどの議論には関心が向かなかった。それが、たまたま先日書店で前掲書を見かけて気になり、一読してこれまでの研究と議論の動向を知った。

事件を実証的に究明する人たちと否定派とは土俵が異なっていて「論争」とはいえないのではないかというのが読後の第一感だった。

洞先生をはじめとする実証的な歴史学者は多くの史料をもとに南京事件の全体像を求めてきたのにたいして、事件をなかったことにしたい人たちは史料や著書の瑕疵を探しては事件の存在を疑問視もしくはでっち上げを言挙げしているとしか思えない。

否定派のばあい、イデオロギーが優先し、史料をもとに日中戦争を研究し、そのなかで南京事件を位置づけるという過程がないといってよく、これでは歴史学上の「論争」にはならない。

つまりは南京事件を否定したい人々は史実がどうあれ事件は存在してはならず、その延長で東京裁判日本国憲法を否定しようとしているのだから、これに実証された史実を対置しても無益なのだ。強固な政治的信念の持主に史実は関係なく、政治的信念の披歴は歴史の研究ではない。「論争」と呼べないと考える所以である。

それはともかく南京事件を知って半世紀近くが過ぎて『[増補]南京事件論争史』を読みながら、関連する情報をウェブサイトで探っているうち、洞先生が二000年に九十三歳で亡くなったのを知った。

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AXNミステリーチャンネルの松本清張特集で「球形の荒野」を見た。一九七八年にフジテレビが放送していて、主演は栗原小巻

敗戦から十数年経った昭和三十年代後半、戦争末期スイスで終戦工作に携わり、亡くなったとされた元外交官とおぼしき人物が、フランスから来日しているとの未確認情報が流れ、真相の究明と波紋、揺れ動く元外交官の家族の心情が描かれたミステリーだ。

何回かテレビドラマ化されていて、主演女優では水木麗子、冨士眞奈美山本陽子栗原小巻島田陽子、若村真由美、比嘉愛未木村佳乃の名前が見えている。

栗原小巻が出演するテレビドラマはこの「球形の荒野」が初めてだが、映画では「戦争と人間」「忍ぶ川」「サンダカン八番娼館 望郷」「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」の印象が強く、役柄も含めしっかりと覚えている。

吉永小百合が映画を主軸に据えて活躍してきたのにたいし、栗原小巻は舞台を主にしてきた。演劇とはほとんどご縁のないわたしは彼女の舞台に接したことはないけれど、物覚えの悪いわたしでもスクリーンでの彼女についてたしかな記憶をもっていて、強い印象、記憶を残すのは役者としての実力の証明だと思う。

サユリストにたいするコマキスト、懐かしいな。

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新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」をめぐり、調査データの一部に誤りがあった問題。住民に謝罪した説明会で防衛省の職員が居眠りをしていた映像をYouTubeで見た。ひどい話だ。

原発や軍事施設といった命のかかる問題は支持政党やイデオロギーではなく、安全性の確保から出発してとことん議論し、最高度の対策を講じなくてはなくてはならない。もちろん事情によっては取りやめるべきだ。

なによりもまずいのは住民たちが政府や電力会社などが右を向けといえば右を向き、左を向けといえば左を向くといった状況で、居眠りの職員は、どうせ住民はこちらの思い通りになるだろうと、緊張感の蒸発した状態にあったのかもしれない。

先日の毎日新聞の書評欄に歴史学者磯田道史氏が、医療の歴史は試行錯誤と失敗の歴史であり、とんでもない「インチキ療法」がとめどなく開発される、「悲しいことに、人はそれを信じる。『生きたい』と切に思うから、その人体実験に参加せざるを得なかった」と書いていた。

命を救うための医療でもこれだ。その歴史は原発、軍事施設に警鐘を鳴らしている。

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天安門事件から三十年。NHKスペシャルで「天安門事件 運命を決めた50日」の放送があった。

大学での専門は中国政治で、このころまでは香港の雑誌を読むなどして語学の勉強を兼ねたチャイナ・ウオッチングを続けていた。この番組で、中国共産党内部の路線、権力闘争を含む事件全体のイメージはとくに変わる点はなかったが、三十年経った時点での新たな証言、資料の捜索、発掘は貴重であり、とりわけ失脚した趙紫陽総書記が複数政党制による民主化を構想していたのはおどろきだった。

インタビューに応じた当時の学生運動のリーダーや軍人、犠牲者の遺族、中共の元幹部たちの勇気は大変なもので、さらなる弾圧がないように願う。なかでも中国在住の方については心配だ。

事件後ブッシュ大統領が鄧小平に宛てた手紙の画面で宛名が「Chairman Deng」となっていた。中国語に直すと「鄧主席」でそういえば鄧小平は中央軍事委員会の主席で「毛主席」に比べるとなじみはないが、こちらも「主席」を冠せられていた。

そのブッシュ大統領の書簡の趣旨は、なんだかんだいっても中国を支援しますよというもので、天安門事件への中共中央の対応を容認するものだった。

民主化の挫折、政治改革への失望感、それに自身の人事異動など仕事の事情もあり、わたしは中国の政治をこまめに追うのをやめた。

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六月十四日から十七日にかけて大連市(旅順、錦州を含む)を旅した。一九七六年以来中国へは何度か来ているが東北地方は初めてだ。

大連市は日清戦争日露戦争の激戦地であり、かつての日本が満鉄本社、関東軍司令部を置いた要衝の地だった。日中関係史でいえば日清戦争に際して新聞「日本」の従軍記者として当地に来た正岡子規の句碑(「行く春の酒をたまはる陣屋哉」)、日露戦争の激戦地だった東鶏冠山北堡塁、二百三高地、満鉄本社跡(写真)、関東軍司令部跡などを廻った。いずれも中国人にとって痛みの残る、不都合な真実の歴史文物だが、しっかり整備され参観できるようになっており、あらためて日中友好の大切さを思ったことだった。

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