小山騰『日本の刺青と英国王室』(藤原書店2010年)という意表を衝くテーマの研究書がある。著者はケンブリッジ大学図書館日本語部長、日本語書籍コレクションの責任者をされている方だ。本書に拠りながら簡単にイギリスの刺青事情を見ておきましょう。
英国でも刺青は古くからあったがいったんは廃れていた。それが十八世紀後半に太平洋諸島を航海したキャプテン・クックがあらためて刺青をもたらし、その結果、船員たちを中心に急速に広まり、流行はやがて上流階級さらには王室関係者にも及んだ。
ヴィクトリア女王の時代、皇太子だったエドワード七世は一八六二年にエルサレムを訪問したときエルサレム十字架、別名、十字軍の十字架と呼ばれる刺青を彫っている。かつて十字軍の騎士は中東で戦死した際にキリスト教式で埋葬してもらうよう目印として十字架の刺青をしていた。エルサレム十字架はこれを起源とするもので、以前から中東訪問者が入墨する習慣はあったが、エドワード七世のばあいはそれだけでなく、英国内での刺青の流行が背景にあった。
この頃、日本は幕末維新期で、刺青は滞在した外国人の眼を惹いた。彼らに日本人の刺青がどんなふうに映っていたかというと・・・・・・
〈入念ないれずみにかけては、日本の男たちが身につけている標本以上のものを想像することは不可能だ。〉(ラザフォード・オールコック『大君の都』)
〈実によく入墨をしている男は身体中到るところが絵になっている。たとえ、全体的な印象は気持のいいものではないにしても、まったく立派なものである。〉(ローレンス・オリファント『エルギン卿遣日施設録』)
〈夏には、彼ら(日本人)は着物をまったく脱ぎ捨てる。着物というものはもともと非実用的な社会が強制するものである。(中略)肉製の上着というのは、最もすばらしい模様の刺青のことである。(中略)暑い気候の下では、刺青の方がわれわれが着ている衣類よりも涼しくかつ適切な衣類であろう。〉(リチャード・マウントネイ・ジェファソン、エドワード・アルムハースト『日本における我らの生活』)
といった具合で高度な技術が讃えられたり、究極のクール・ビズのようにいわれたりしている。
刺青を野蛮と見た明治政府であったが、外国人はかならずしもそうは見ていないのが皮肉である。
それを裏書きするようにヴィクトリア女王の次男、つまりエドワード七世の弟のアルフレッド王子は一八六九年に横浜で刺青を彫ったし、一八八一年にはエドワード七世の長男アルバート・ヴィクターと次男ジョージが日本を訪問して東京と京都で刺青を入れた。ちなみに次男のジョージはのちのジョージ五世で、この人の次男が映画「英国王のスピーチ」のジョージ六世、エリザベス女王の父君である。
こうしたなか一八八九年五月十七日の『パル・マル・ガゼット』紙上には〈日本人が欧化するために自国の慣習として刺青を放棄しなければならないというのは、奇妙な生理学的出来事である。一方、英国では正常の印として、刺青はとにかく中産階級や上流階級の間である程度実行されている〉との投書が掲載されている。
『日本の刺青と英国王室』で著者の小山騰氏は〈ここには誠に興味深い逆説がある。「文明開化」に邁進する日本は、明治五(一八七二)年に、刺青を「野蛮」の名の下に禁止するが、その日本の刺青を「文明国」の王室関係者や貴族が競って求めたという逆説、「文明」と「野蛮」をめぐる奇妙なパラドクスである〉と述べている。
日英のギャップに見られるように人々の刺青についての感じ方はさまざまで、しかも時代によりいいろと変化するからカルチャー・ギャップも流動する。
刺青の示す意味にしても下記の通り一様ではない。
・威力や美しさや伝統の誇示
・性的装飾
・個体識別(上述した十字軍、あるいはナチの親衛隊員は戦闘中の負傷に優先的に輸血を受けられるよう左の腋下に血液型を刺青していたし、アウシュビッツに収容された人々は腕に収容者番号を刺青されていた)
・刑罰
・反社会的集団における同志の契り
・愛の契り(永井荷風は二の腕に「こう命」と彫り込んでいた)
刺青そのものにはプラス価値もマイナス価値も内在しておらず、ニュートラルなもので、それをどう見るか、どのような意味付けをするかによって価値は変わる。そしてある時代、ある国家における刺青に対する意味付けの総和となると、もうそれは文化にほかならない。
明治の日本では、とりわけ政府筋では刺青は野蛮を意味していた。それがイギリスではファッションでありおしゃれのひとつに過ぎないのだった。
現代の日本で刺青は反社会的集団のシンボルであり、他方ポリネシア諸国では強さや美しさの表現だという。
いま多くの日本人の刺青に対する感情も世界では絶対的なものでもなければ、時代を超えた普遍性を持つものでもない。いうまでもなく感情も歴史性を帯びる。
となれば刺青を彫ったラグビー選手についても現代日本の感覚を絶対とするのではなく、違和感はあっても寛容の視線で見てやればよいのだろう。