麻生太郎氏における民度の研究

六月四日の参院財政金融委員会で麻生副総理兼財務大臣が日本の新型コロナウイルスによる死者数が欧米諸国より少ない理由を「国民の民度のレベルが違う」と述べたと報じられている。

札幌医科大の調査によると、四日時点の人口百万人当たりの死者数は、日本は七・一人。英国(五八五・二人)、フランス(四四四・六人)、米国(三二三・八人)より圧倒的に少ない。他方、アジアで比べると事情が異なり、韓国五・三人、中国三・二人、台湾とタイは一人未満にとどまっていて、アジアのなかでは日本の死者数は多く、その点は考慮されているかどうかはわからないが、この人にとって感染症による死者数は民度の問題だとすれば欧米諸国にたいしては鼻高々だろう。

民度については『新明解国語辞典』に「その地域に住んでいる人びとの経済力や文化の程度」との語釈がある。新型コロナウイルス禍のもとわが国でも失業者が増え、企業の倒産や飲食店の閉店が相次いでいる。ひょっとすると麻生氏は心の深層で失業者、倒産、閉店する企業、店舗は民度が低いと考えておられるのかもしれない。

五月二十五日、米国ミネアポリス近郊で、偽造紙幣を用いてたばこを購入しようとした疑いで警察に拘束されたジョージ・フロイド氏が拘束中警官に殺され、事件を機に全米各地さらには世界各地で人種差別と警察の暴行に抗議するデモが広まっている。忖度するに麻生氏の目にこの出来事も欧米諸国の民度の低さのあらわれと映っているかもしれない。容疑者の首を膝に敷いて窒息死させた警官の行為に、それとも黒人差別にたいする抗議行動のいずれに民度の低さをみているかはわからないけれど、この問題を考えるための補助線らしきものはある。

二0一八年一月に亡くなった野中広務自民党幹事長の評伝、魚住昭野中広務 差別と権力』(講談社)に「永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼が政界の出世階段を上がるたびに、それを妬む者たちは陰で野中の出自を問題にした」というくだりがある。野中は京都府園部町被差別部落の出身であり「出自」とはこのことを指している。

関連して同書には、麻生太郎氏が二00一年の自民党総裁選をまえに所属する河野グループの会合で野中の名前を挙げながら「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と言い放ったとある。麻生事務所は誤解と弁明しているが、この発言を聞いたという同席した議員の証言もあり、しかも自民党総務会では野中自身がこの麻生発言を取り上げて、同席する麻生を論難したと著者は述べている。もちろんこの部落差別への視線は黒人差別にも向けられているだろう。

麻生太郎という政界の上層にある者のあからさまな差別発言、これに匹敵するのはわたしが知る限りでは戦前の平沼騏一郎の事例がある。

原田熊雄述『西園寺公と政局』一九三七年(昭和十二年)五月八日の記事に、陸軍が大島健一陸軍中将を枢密顧問官に推していたところ、枢密院議長平沼騏一郎が「大島は新平民だからいかん」と別の人物を就けたとある。原田熊雄の口述内容は当時の最高支配層による部落差別が活字として記録された貴重な記録であり、大島中将の処遇を知った寺内寿一前陸相の「ああいう者を長く枢密院議長の地位にしておくのはよくない」との言葉は平沼との個人的な確執は別にして、四民平等の観点から当然とはいいいながら、やはり救いに感じる。寺内寿一は東京高師附属中学校で同級の永井壮吉、のちの荷風に文弱軟派の生徒としていじめ鉄拳制裁をくわえていて、荷風のファンとしてはいやなやつだが、それとは別の一面がここにはある。

麻生発言になんら批判することなく許容する、それが氏の周囲の政治家たちの民度なのだろう。