初老と女ざかり

初老ということばを辞書で引くと、老人になりかけた年代などというひどくつまらない語釈があったりするが、そこへいくと新解さんの愛称で知られる三省堂新明解国語辞典』(第四版)には〈肉体的な盛りを過ぎ、そろそろからだの各部に気をつける必要が感じられるおよその時期。もと四十歳の異称〉とあって、さすがである。
斎藤茂吉の短歌に〈ミュンヘンにわが居りしとき夜ふけて陰の白毛を切りて棄てにき〉がある。本来はミュンヘンはドイツ語表記。陰はほと、と読み、このばあいは、なんとはなしに自身の陰毛を見ると白いのがあり、切って棄てたの意で、いわば初老の感懐を詠んだ一首だ。当時、茂吉は四十二歳、陰部の白毛に、ああ、おれも、はや初老なんだと感に堪えなかったのではないか。
いつだったかこていな店のカウンターで友人と茂吉の話をしていると隣にいた二人づれの女性が「そしたらわたしたちも初老なんだ」とへんな話題にのってきてくれた。おふたりとも華やいでしかも知的な雰囲気の美人で、自信があるからなんでしょうね「あと二、三年もすれば初老よ」なんておっしゃる。こちらは浮き立つ気分で「あなたがたの四十は女ざかりなんですよ」とサービスにこれ努めたことでありました。
じつは『新明解国語辞典』の記述は〈もと四十歳の異称〉のあとに〈現在は普通に六十歳前後を指す〉とつづく。新解さんは初老年齢をぐんと引き上げてくれているのである。

他方、女ざかりはどうか。〈成熟した女性美の見られる年ごろ〉(『新明解国語辞典』)、〈女の一生のうちで、最も美しくなる年頃〉(『大辞林』)と、どちらも賢明にして年齢を示していない。
この問題、野暮を承知で永井荷風の作品に探ってみると「歓樂」に〈「お前いくつになるんだ。」「二十八。」「それぢや、まだ盛りぢやないか。」〉というやりとりがある。おなじく『断腸亭日乗』には〈お冨は年既に三十を越え、久しく淪落の淵に沈みて、その容色將に衰へむとする風情〉(大正十五年一月十二日)との記事がある。二十八はまだ盛りで三十を越えるとわずかに容色に衰えが感じられるとすれば、かつては二十代半ばから三十あたりが女ざかりと意識されていたようだ。ちなみに『日本国語大辞典』(小学館)の用例には徳田秋声「足袋の底」から〈二十六七の女盛りの肉の爛熟さがあった〉が引かれている。
映画では、小津安二郎監督が東宝で撮った「小早川家の秋」(1961年)で夫と死別している秋子(原節子)が縁談話を勧められて「わたしのようなお婆さんが」と口ぐせのように繰り返す。実年齢の役柄と見てよく、当時、原節子は四十一歳だった。お婆さん云々の謙遜はともかく、昭和三十年代の四十代はどんなふうに意識されていたのだろう。


 ともあれ確実なのは初老年齢が引き上げられたとおなじく女ざかりも高度成長をはたしたことで丸谷才一『女ざかり』(文藝春秋1993年)の主人公、映画では吉永小百合が演じた南弓子は四十五歳で大学生の娘がいる。いまや娘ざかりにある娘の母親が女ざかりなのである。初老も女ざかりもぐんと延びてまことにめでたい。

新解さんの語釈からすれば当方いよいよ初老も盛り、あとでミュンヘンの茂吉先生にならってすこし気をつけて見ておこう。