荷風の映画をもとめて

川本三郎荷風好日』(岩波書店2002年)によると、永井荷風の作品をもとにした映画はこれまでのところ八本を数える。
いちばん新しいのは平成五年(一九九三年)に板東玉三郎の監督で、吉永小百合が主演した「夢の女」(松竹ほか)。その前年には新藤兼人監督が墨田ユキ津川雅彦を主役に「墨東綺譚」(ボクは墨にサンズイあり。以下おなじ。)(近代映画協会)を撮っている。
平成のこの二作品の前が昭和四十八年(一九七三年)の「四畳半襖の裏張り」で、神代辰巳監督、宮下順子主演、にっかつロマンポルノの一作である。もっとも、本作は川本氏も述べているように荷風の「四畳半襖の下張り」をヒントにして神代辰巳が自由に脚色した作品で、荷風の名前はクレジットされていない。
昭和三十年代にさかのぼると荷風の映画は五本製作されている。
「渡り鳥いつ帰る」(監督久松静児、主演田中絹代森繁久彌、 昭和三十年、東宝
「つゆのあとさき」(監督中村登、主演杉田弘子、昭和三十一年、松竹)
 
「踊子」(監督清水宏、主演淡島千景京マチ子、昭和三十二年、大映
 
「墨東綺譚」(監督豊田四郎、主演山本富士子芥川比呂志、昭和三十五年、東宝
 
「裸体」(監督成沢昌茂、主演嵯峨美智子、昭和三十七年、松竹)
これら八本のうち、「つゆのあとさき」と「踊子」がいまもって未見のままなのがくやしい。ビデオ、DVDが普及し、荷風の読者は持続的にいて、ときに小さなブームとなるほどなのに、この二作との出会いはむつかしい。
双方ともに評価は低く、そのぶん上映機会に乏しいのだろうが、「映画」としてはともかく「荷風の映画」として観るといろんな発見やおもしろさがあるはずだ。
(『なつかしの日本映画ポスターコレクション PART2』 近代映画社1990年より)

たとえば「渡り鳥いつ帰る」の荒川放水路の場面は、当時、荷風自身が眼にしていた風景で、それをいまスクリーンで観られるだけでもありがたい。この作品の公開当時の世評はけして高くないけれど、なかなかどうしてよくできた風俗映画である。
じつは「裸体」もあこがれの未見映画だったのが、さいわいにも昨年神保町シアターで出会えた。こちらは天性の如き妖艶な色気を発散する嵯峨美智子山田五十鈴の娘さん、故人)の映画で、「荷風の映画」としては期待はずれだったけれど、それはともかく、びっくりしたのは嵯峨美智子の下宿先のおばさん(お婆さん?)役を演じた浪速千栄子の一瞬のヌード。原節子の水着姿の写真を見たときとおなじく、世の中にはおもいもよらぬものがあるなあとあらためて感じたしだいだった。
「踊子」についてはいちどCS放送の番組表で見て、友人知人にそのチャンネルの契約者がいないか当たってみたが、結果はノーで切歯扼腕した。「つゆのあとさき」となるとそうした経験すらない。
二十数年ほど前のある日、職場の先輩で映画と本とに詳しい女性と雑談をしているうちにどうしたいきさつからか話題が「つゆのあとさき」におよんだところ、彼女は「中学生のとき、たまたま連れて行ってもらった映画館で、わたし「つゆのあとさき」観てるわよ」と言った。もちろん、あなた、観てないでしょう、どう、うらやましい?との意が言外にあふれまくっていた。面識のある方で「つゆのあとさき」を観ているのはいまだにこの女性一人である。 
いずれもフィルムは残っており、待てば海路の日和と信じているのだが、それにしても待ち時間が長い。
毎日新聞の記者で、晩年の荷風と親しかった小門勝二の『荷風踊子秘抄』に「踊子」にまつわる話がある。

 浅草のレビューの踊子姉妹に淡島千景京マチ子が扮するこの作品は魅力的なキャストにかかわらず出来具合はよくなかったらしく、愚作とも聞く。いっぽうで、荷風はこの映画の宣伝コピーを気にいっていたらしく、それは「男の人に誘われると、あたい、何だか、悪いようで断れないんだもの」というもの。
荷風はまた、朝日新聞に載ったこの映画の広告を見て「京マチ子がシュミーズ一枚で変なすわり方をしているのが大きく出ていましたぜ」と語っていたそうだ。
なにはさておき一度は観ておかないとおさまりがつかない。  
つい先日『なつかしの日本映画ポスターコレクション PART2』(近代映画社1990年)を眺めていると「四畳半物語 娼婦しの」という映画のポスターが収められていた。昭和四十一年の東映作品で、原作永井荷風とある。
主演は三田佳子。脚本と監督は「裸体」とおなじ成沢昌茂。フィルムが残っているとすれば、わたしがこれから追いかけなければならない荷風の映画は「つゆのあとさき」と「踊子」にこの一本がくわわって三作品となる。がんばらなくては。