自転車(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ十四)

フォンデル公園を行く自転車。少々の雨はものともせず黄色の合羽を着けて走る。オランダの風物といえば風車、チューリップ、そして自転車。

この国では昔から自転車による移動が普及していて、第二次世界大戦が勃発した時期、夫とともにヨーロッパに滞在していた野上弥栄子は紀行文『欧米の旅』に、アムステルダムの運河沿いの並木、広い街路、煉瓦の四五階の建物はイギリス風であるが、あれほど重量感をもたらさないのは「一つはロンドンが黒っぽいのに、ここは煤気がなく、空も薄藍いろできらきらして明るいからであろう」とロンドンと比較したうえで、その空の下「五十万台の幾パーセントかの自転車が、ここにもぶっ突かりあうほど飛び廻っている」と書いている。

国土が小さく、平坦だから自転車は重要な交通手段であり、お金もあまりかからないから重宝されている。もちろん自転車道路は整備されており、子供たちには早い時期から自転車に慣れ親しむよう指導しているとのことだ。

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フォンデル公園の紅黄葉(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ十三)

今回の旅行では柴田宵曲『随筆集 団扇の絵』(小出昌洋編、岩波文庫)を携行していて、合間に読み継ぐうちに十数年ぶりに通読し、あらためて感嘆これ久しゅうした。

その一篇「月と人」に夏目漱石『文学論』の話題があり、そこで漱石は、多くのイギリス人は自然にたいして何らの風情を認めていない、留学中に雪見に誘うと笑ってあしらわれ、月はあわれ深いものだと説いたところびっくりされたこともあったと述べている。

漱石がロンドンで師事したクレイグ先生は泥土になって汚くなるからと雪を嫌っていて、まあ、そうした人を雪見に誘っても笑われるのが落ちだったでしょう。宵曲は同様の例として赤城格堂の短歌「巴里人は風流(みやび)なきかも望月の此夜の月を顧みもせず」を引用している。

自然と感性との関係にはお国ぶりがあるのは当然だとしても、イギリス人、フランス人が月や雪に心を動かされないというのはほんとうだろうか、にわかには信じがたいけれど、それはともかく写真のフォンデル公園の紅黄葉に心がしみじみとならない人はいないと思う。

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フォンデル公園(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ十二)

国立美術館のすぐ近くにフォンデル公園があった。写真はそのほとりの運河。美術館の周囲を散策しているうちにたまたま行き当たった公園で、わたしの持つガイドブックには世界最大のフラワーパークとしてキューケンホフ公園の紹介があるだけでこの公園についての記述はなかったけれど、よいところだと思いました。

ガイドブックに載っていない素敵な場所を体験するのは旅の醍醐味。もっとも帰国してネットで調べるとなかなか有名な場所で、英語でVONDEL PARKを検索するとずいぶん詳しく説明されていた。

それによるとここはたくさんの観光客が訪れるアムステルダムでいちばん大きな公園。そして市民の憩いの場所。晴れた日には人々は犬の散歩やジョギング、ローラースケートを楽しみ、芝生でのゆったりした時間を過ごす。ときには野外コンサートも行われている。

歴史は古く開園は一八六五年。市民が協力し合ってつくった公共公園とある。

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アムステルダム国立美術館(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ十一)

「ライクス・ミュージアム」と呼ばれるアムステルダム国立美術館。ライクスRijkは英語のSTATEにあたる。収蔵品としてはレンブラント「夜警」「自画像」やフェルメール「牛乳を注ぐ女」「手紙を読む青衣の女」など十七世紀オランダ絵画の充実で知られる。

二00四年から大規模な改修が行われ、本館は十年にわたり閉鎖されていたが二0一三年四月に開館されたと説明を受けた。わたしたちにとってはラッキーだったわけだ。

建物と絵画はいうまでもないけれどここは周囲の景観もすばらしく、マロニエの木々、広大な芝生の庭園、紅黄葉の彩りなど美術鑑賞には最高の環境だ。

写真のトンネル状の入口は生活道として通り抜けになっており、ここを抜けてすこし歩くとモダンなヴァン・ゴッホ美術館がある。

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ダイヤモンド(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ十)

クルーズ船を下りてダイヤモンド工場へ行った。ここは四百年以上にわたりダイヤモンドの街として知られてきた。世界の王室のダイヤモンドを研磨した伝統は「アムステルダム・カット」の名前とともにある。

明治四年十一月から明治六年九月にかけて欧米を視察した岩倉使節団の記録『米欧回覧実記』は日本人にはなじみのなかった金剛石(ヂヤモントのルビ)を「玲瓏瑩徹、暗中に光ルニ至ル」「地球上ニ其ノ堅剛ヲ比スルモノナシ」と説明したうえで、研磨場はこの地でもっとも有名な場所であり、欧州各国でダイヤモンドはずいぶんと流行し珍重されているが「是ヲ磨琢シ粋玉トナスコトハ、此場ニアラスハ、成ス能ハストナン」と記述している。

いま世界のダイヤモンド市場でアムステルダムがどれくらいの比重を占めているのかは知らないが、岩倉使節団が訪れた時点では一日に働く職人三百十五人、蒸気三十六馬力とある。

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アムステルダム運河クルーズ(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ九)

今回の旅では、アムステルダムの運河、ブリュージュの運河、セーヌ川と三度クルーズ船で巡航した。

パリでの自由時間ではエッフェル塔に上るよりセーヌ川のクルージングを選択した。察するに、高いところよりも水面に浮かぶのが好きらしく、これは旅をしているうちにはじめてわかったわが性癖だった。

アムステルダム運河クルーズの所要時間はおよそ一時間。

ダム広場、アンネ・フランクの家、中央駅、ムント塔(中世の見張り塔で三十八のカリヨンを有し、十五分ごとに美しい音色を響かせる)、マヘレの跳ね橋(市内に架かる唯一の木造の跳ね橋)などを眺めた。午前中だったが、美しい街の夜のクルージングはさらに魅力的だろう。

巡航するうちにアポリネールミラボー橋」の一節が浮かんだ。

「日が暮れて鐘が鳴る 月日は流れわたしは残る」(堀口大學訳)

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アムステルダム中央駅(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ八)

運河を前にしてアムステルダム中央駅が建っている。一八八九年に開業したオランダ鉄道の駅で、中央駅の名の通りメトロ、トラム、バス、フェリーが発着する。鉄道に限れば一日三十万人が利用しているとのことだ。

ちょうど駅舎の前をトラムが走っていた。そして運河はここを基点として放射状に張り巡らされている。

駅舎を設計したのはP.J.H.カイペルスとA.L.ファン・ゲントという二人の建築家で、これに先立ちカイペルスはアムステルダム国立美術館を設計していて中央駅と国立美術館とはよく似たたたずまいだ。

類似といえば赤いレンガと横に長い構造は東京駅の丸の内側駅舎を思わせる。東京駅の竣工は一九一四年、一説によると設計者の辰野金吾アムステルダム中央駅をモデルにしたというが、どうやら俗説らしい。しかし、雰囲気が似ているのはたしかで、二00六年四月十一日両駅は姉妹駅となった。

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