フォンデル公園の紅黄葉(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ十三)

今回の旅行では柴田宵曲『随筆集 団扇の絵』(小出昌洋編、岩波文庫)を携行していて、合間に読み継ぐうちに十数年ぶりに通読し、あらためて感嘆これ久しゅうした。

その一篇「月と人」に夏目漱石『文学論』の話題があり、そこで漱石は、多くのイギリス人は自然にたいして何らの風情を認めていない、留学中に雪見に誘うと笑ってあしらわれ、月はあわれ深いものだと説いたところびっくりされたこともあったと述べている。

漱石がロンドンで師事したクレイグ先生は泥土になって汚くなるからと雪を嫌っていて、まあ、そうした人を雪見に誘っても笑われるのが落ちだったでしょう。宵曲は同様の例として赤城格堂の短歌「巴里人は風流(みやび)なきかも望月の此夜の月を顧みもせず」を引用している。

自然と感性との関係にはお国ぶりがあるのは当然だとしても、イギリス人、フランス人が月や雪に心を動かされないというのはほんとうだろうか、にわかには信じがたいけれど、それはともかく写真のフォンデル公園の紅黄葉に心がしみじみとならない人はいないと思う。

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