『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』

春日太一著『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』ははじめ二0一三年一月、PHP新書の一冊として、そして二0一七年九月、増補した「完全版」が二0一七年九月、文春文庫から刊行された。わたしが読んだのは後者で、本書で長きにわたって映画と舞台に出演してきた一九三二年生まれの名優は、春日太一という恰好の著者兼インタビュアーを得て、出演作また監督、スタッフ、役者たちの人物論やエピソード、演技のあり方を含む映画製作の裏側などを存分に語っている。また作品のガイドブックとしても有用である。

その一例を示しておくと《東映京都撮影所。そこで仲代が出演した時代劇は一本だけある。それが、一九六五年の沢島忠監督『股旅 三人やくざ』だった》と春日のイントロに続いて仲代が《私はすごく好きな映画なんです》《沢島忠さんの最大傑作だと思います》と語る。聞いたこともない『股旅 三人やくざ』だったがU-NEXTで配信していてさっそく一見に及び納得しました。

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《私がもし死ぬ時、「今まで出演した映画から一本だけ選べ」と言われたら、いろいろいい作品に出させていただいていますけど……やっぱり『切腹』です》

切腹」は一九六二年、小林正樹監督作品、仲代初の時代劇主演作品で、このとき二十九歳だった。主人公津雲半四郎は孫ができたばかりの中年男だ。よい役者とは若いとき優れた老け役ができる人をいうのだろうかとふと思った。笠智衆がそうであったように。

切腹」から二十年後の一九八二年、仲代は「鬼龍院花子の生涯」で夏目雅子と共演した。

《私はいろんな女優さん相手にしてきましたけど、心から惚れ惚れとしたのは、彼女が一番です。いや、それはね、女優として素晴らしい人はいっぱいいます。でも、もし死ぬ時に「女優さんの共演者で一番誰に惚れたか」と聞かれたら、それは夏目雅子さんです》。 ああでもない、こうでもないといろいろ考えるのはよいが、続けているうちに百年河清を待つことになりかねない。黄土で濁っている黄河の濁流が、いつの日にか清流となるのを待ってるようなもの。それゆえ言葉の発出は短慮を避けつつ、明確で迷いがないようにしたい。そこに仲代達矢の語りの魅力がある。断言、明言の語り口に努めていて、その基には自信と決意がある。

仲代は「切腹」のまえにおなじ小林正樹監督の「人間の条件」に出演した。六部構成、全三作の大作は一九五九年から六一年にかけて公開された。

《一部・二部を半年かけて撮るわけです。で、あと何か月か。半年ぐらいあるかな、準備期間があるわけで、このあいだに黒澤さんの『用心棒』に出るわけですけど》。《それで今度、三部・四部が始まるんですよね。これ撮り終えたら、今度五・六撮るためにまた半年ある。その間、『用心棒』の続編の『椿三十郎』に出た、それで最後まで撮り終えるんです》

仲代は映画会社に属さないフリーの役者だったから松竹の小林正樹東宝黒澤明の作品を往復できた。それに小林正樹黒澤明は仲がよく、黒澤が仲代を貸してくれないかと申し出て『用心棒』に出演した。そこで仲代は《いろいろな時代劇役者さんたちと立ち回りのシーンを演じてきましたが、三船さんが一番素晴らしかったです。特に力強さと技の速さですね。(中略)三船さんは相手に実際に当てるんです》といった経験をする。こうした「日本映画黄金時代」の経験からするといまは《俳優が俳優であった時代、監督が監督であった時代、カメラマンがカメラマンであった時代っていうのがなんか過去のものになっていくような気がして、すごく寂しい思いがするんです》という。

もちろん仲代は「日本映画黄金時代」にも舞台に立っていた。そこから《私は新劇俳優ですが、舞台は一年間に半分、映像は半分って決めていました。舞台の俳優さんというのは、一生懸命やればやるほどいいと思っている。舞台の俳優さんって、まあ、名優になると、お客はどう見ているか、お客の前でどういう格好がステキに見えるかとかってなるんでしょうけど、なんか一生懸命やっていることをお客は全部受け入れてくれるもんだと錯覚する。でも、私なんか映画に出てみて気づくのは、自分の意図した芝居のイメージって全く画面に出ていないということ。そういう意味では、映画と舞台を半分ずつ青春時代からやってきたことはよかったと思います》といった映画と舞台また双方の演技の比較論がもたらされる。

映画づくりの現場にいた人じゃないと書けない、語れないじつに優れた映画本である。