「JFK 新証言 知られざる陰謀 劇場版」

一九六三年十一月二十二日のアメリカ合衆国第三十五代大統領ジョン・F・ケネディ暗殺事件から六十年、映画「JFK」のオリバー・ストーン監督が今回はドキュメンタリーで事件の真相に迫っています。

ケビン・コスナーが暗殺事件の捜査に執念を燃やす地方検事を演じた映画「JFK」が世界的ヒットを記録したのは一九九一年でした。わたしは知らなかったのですが、なんとその翌年に事件をめぐる新たな法案が可決し、膨大な文書が機密指定を解除されていて、これを機に事件の再調査は活気を帯びたのですが、オズワルド犯行説を覆す決定的な立証には至っていません。こうしたなかストーン監督が数百万ページにおよぶ文書の中から重要な事項を検証し、関係者へのインタビューを通じて、事件の真相を提示したのがこのドキュメンタリーで、ナレーションはウーピー・ゴールドバーグドナルド・サザーランドが務めています。

なにしろ人々を興奮に誘うテーマですから百家争鳴状態は避けられない。わたしは観ているうちに「ケレン」という言葉が浮かびました。俗受け、客受けを狙って演じたり、語ったりすることで、この作品を否定的に捉える人はきっとそんなふうに評価するだろうと想像したからです。

ケレン味、俗臭ともに芬芬たる事態、わたしがそんなふうに感じたわけではありません。とはいえ心のなかの皮肉な部分で、張り扇を使ってのハッタリやごまかしの雰囲気を思わなかったといえば嘘になります。それでもここに描かれたケネディ大統領暗殺をめぐる仮説はハッタリやごまかしの産物、都市伝説の類として一蹴されるものではありません。それどころか映像、文書、証言を存分に用いた実証にわたしは目を見張り、あるいは専門家の目に不備や論理の穴はあるかもしれないにしても意図した無理はないと思いました。まさしくオリバー•ストーン監督の熱意と執念の極まった作品です。一般的には陰謀説を裏付ける決定的証拠はないとは承知してはいますが、事件を徹底追求する姿には頭が下がりました。映画作家が事実を追求する、少なくともひとつの典型であるのは確かです。

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ケネディ大統領の暗殺を知ったのは十一月二十三日の正午過ぎ、十三歳だったわたしは高知市内を走る電車の窓から見た新聞社のネオンサインで知りました。映画館に向かっていたと覚えていますが、何という映画だったかは記憶にありません。あるいは事件のショックの余波だったかもしれません。米国にも政治にも関心はなく、ケネディ大統領は地位と名前しか知らない人だったのに、ずいぶん衝撃を覚えました。

(十一月二十八日新宿武蔵野館、写真も同館で)