2019チュニジアの旅(其ノ二)

エル・ジェムは巨大な円形競技場がそびえる街だ。三世紀に建てられたこの遺跡は、現存するもののうち、ローマ、ヴェローナに次ぐ三番目に大きな競技場で、保存状態もたいへんよくて、地下にはグラディエーター(剣闘士)の控え室や入場の道(「死の廊下」と呼ばれた)がそのまま遺されている。

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「トランペットが高らかに吹奏された。剣闘士たちは相対峙して並び、楯を前へ伸ばした」「最初の一組は剣を何度も打ち合い、その鋭い音が円形闘技場の全体にこだまとなって響いた」。辻邦生『背教者ユリアヌス』より。

映画とともに歴史小説もイメージをかきたててくれる。

また同書に「警備の兵士たち、行商人、旅まわりの芸人、旅人たちが町々、村々を訪れて、いつか人々は広場をローマ風の彫像や噴水で飾り、円形劇場をつくり、神殿をたて、衣服、髪形などもローマの風俗がそのまま取りいれられるようになっていた」とあるようにローマ帝国のなかのアジア、アフリカにある都市はこうしてかたちづくられた地域でチュニジアもそのひとつだった。

なお下の写真の中央が「死の廊下」、向かって右が剣奴の控室、左側が猛獣の檻。f:id:nmh470530:20200128090528j:plain

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エル・ジェムの巨大な円形競技場をあとにしてケロアンへ行き、メディナ(旧市街)の西にあるシディ・サバブ霊廟を訪れた。

ムハンマドの同志で専属の床屋でもあったアブ=ザマ=エル=ベラウィを祀っている。七世紀に建てられ、十七世紀にモスク、神学校などが増築され、現在の姿になったこの廟には美しさはチュニジア随一と評価されるアラベスク文様のタイルが施されている。円形競技場のローマ世界からアラベスク文様のイスラム世界へといった旅程はこの地域の旅の魅力となっている。

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ケロアンで一夜明けて行ったのが九世紀前半に建てられた北アフリカ最古のモスク、グランド・モスク、高さ35mのミナレットは現存するなか世界で最も古いものだ。

ここは北アフリカイスラム教徒にとってアラビア半島にあるメッカ、メディナエルサレムに次ぐ聖地だ。ここに七回詣でるとメッカの一回に相当するという話があるそうだが、帰国していろいろとチュニジア旅行記を見ていると、現地のガイド氏が、完全なる俗説でメッカは別格だと述べたという記事もあり、ほんとのところはよくわからない。

いずれにせよ外観、内部ともに聖地の風格がただよっている。

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下はおなじくケロアンにあるアグラブの貯水池。九世紀、アグラブ朝時代に造られたもので、いま四つの池が残り貯水場として使われている。昔の日本には「湯水のように使う」という表現があったが、砂漠の国では、意味は日本と反対になり、大事に、大事に使うという意味になる。

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