カエサルと寅彦

小学生のとき理科の実験ノートとか気候と植物の成長との関連を記録したノートを提出したのを覚えている。知らずしらずのうちにいくぶんかは観察の訓練になったと思いたい。
自然と人事を問わず観察の重要は言うまでもなく、今日の空模様を見て明日の農作業の中味は決まる。ところがこれがなかなかむつかしい。人間の眼は外向きについていて観察には有利なはずだが、人間観察を例にとると、他人のあらや短所欠点についてはじつに敏感に反応するのにたいして、長所美点をふくむトータルな人間認識についてはさほどでもない。
タワーリング・インフェルノ」というビル火災を描いた映画では発火の報告を受けながらウィリアム・ホールデンが扮したビルの社長は、最新の技術を用いたビルにたとえ一か所で火災があっても延焼は絶対ないと盲信(狂信というべきか)して火災現場に行こうすらしなかった。観察の姿勢さえとれないようでは外向きの眼も用をなさない。
外向きの眼は自身の内部には視線が向きにくいことを意味している。自分の背中は自分では見えず、身体の構造じたいが軽信、過信、誤信、盲信、狂信の温床であるとして過言ではなく、内省や自己反省は相当の努力と訓練を必要とする。その気になれば自分の眼で火災を確認できたのに見に行こうともしなかった「タワーリング・インフェルノ」の社長は自分についての観察においても未熟の人であった。
ユリウス・カエサルは「人間は誰にでも現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」と言ったそうである。(塩野七生ローマ人の物語』)

望ましい現実、こうあってほしいという思いがリアルな認識を曇らせる。
カエサルについてドイツの歴史家テオドール・モムゼンは「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と評したが、現実認識をめぐる人間の意識のありようを喝破した一事だけでもその片鱗はうかがえるだろう。
人間の本性に由来すると言ってよい「見たいと欲する現実しか見ていない」ことが多くマイナスに作用するのはもちろんだが、聴覚だけは趣を異にしているようだ。
石井研堂『明治事物起源』によると日本における蓄音器は米国に駐在した陸奥宗光が明治十九年(一八八六年)に帰朝するとき持ち帰ったのにはじまる。そして明治の末には国内でも生産が開始されだんだんと普及が進んだ。
寺田寅彦の随筆「蓄音機」が朝日新聞に発表されたのは大正十一年(一九二二年)四月で、ここに寅彦が通った高知県尋常中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)で行われた蓄音機公開録音特別実習の話がある。エジソンが蓄音機の発明を登録した一八七七年から十六七年のちのことで、その場で講師の文学士は「高い山から谷底見ればギッチョンチョンギッチョンチョン瓜やなすびの花盛りイヤオヤマカドッコイドッコイヨーイヤナ」と高歌してこれを録音した。忠君愛国を専ら説く厳粛な中学校の講堂と当時としては泰西科学の驚くべき実験と小学唱歌「高い山」の取り合わせがなんとなくほほえましい。

それから四半世紀以上経った時点での新聞記事に寅彦は現在の蓄音機の問題として「ささらでこするような、またフライパンのたぎるような雑音」とレコードの録音時間の短さの二つを指摘している。再生する際の雑音と録音時間の問題はCDの時代となりともにクリアーされたが、そうなると今度はレコードのノイズがノスタルジックに響いたりする。
そのノイズについて、やっかいなものであるとしながら、しかし、と寅彦は言う「人間の耳には不思議な特長があって(中略)雑多な音の中から自分の欲する音だけを抽出して聞き分ける能力を耳は持っている」と。
レコードを聴くとき、欲する音だけを聞き分ける能力は、寺田寅彦の言うように人間にとってありがたい。それがユリウス・カエサルの言う「人は現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は見たいと思う現実しか見ない」一環だとしても。
見たいと思う現実しか見ないのは現実認識には障碍だが聴きたいと思う音を聴き分けられるのは音楽鑑賞にはありがたい。寅彦は人間の耳は「目の場合には望まれない選択作用が行われる」と述べる。おそらくカエサルは目も選択作用をしているし、見れども見えずという状態もあると異を唱えるだろう。
聴覚と視覚とともに寅彦とカエサルの相違も興味深い。