ジョージ・クルーニー製作、監督、主演の「ミケランジェロ・プロジェクト」を観て、原作を読んでみたくなり、ロバート・M・エドゼルのノンフィクション『ミケランジェロ・プロジェクト』(高儀進訳)を手にした。
第二次世界大戦でドイツ軍はヒトラーの指令により、侵攻したヨーロッパ各国の歴史的遺産である美術品を次々と略奪した。ユダヤ人の個人資産はもとより公的な美術館所蔵の作品も対象とされた。ナチスにはヒトラーの故郷に近いリンツに「総統美術館」を建設する計画があり、略奪は大規模かつ広範囲に及んだ。フィリップ・K・ディックのSF小説『高い城の男』では枢軸国が勝利し、米国はナチス領土と日本領土に二分割されていたが、そうなるとミケランジェロやダ・ヴィンチ、フェルメールらの作品も「総統美術館」に展示されていたにちがいない。
略奪がつづくなか連合軍は歴史的財産の喪失を阻止するための特殊部隊「モニュメンツ・メン」を組織した。総計で十三か国三百五十人ほどの男女が「記念建造物(モニュメンツ)・美術品(フアイン・アーツ)・公文書(アーカイヴス)」」(MFAA)部隊に勤務し、活動は一九四三年から五一年に及んでいる。
指導者としてはジョージ・スタウト米軍中尉(美術品保全の専門家で、保全部隊の創設を美術館界と軍に働きかけた)、ジェイムズ・J・ロリマー米軍中尉(中世美術の専門家でメトロポリタン美術館の中世美術館の別館、クロイスター美術館の設立に尽力)、ロナルド・エドマンド・バルフォアカナダ軍少佐(ケンブリッジ大学の美術史専門家)、ウォーカー・ハンコック米軍大尉(権威のあるローマ賞を受賞した著名な彫刻家)といった人たちがいた。
先日デン・ハーグのマウリッツハイス美術館で「真珠の耳飾りの少女」を見て感激だったが、このフェルメールの作品も略奪に遭っていて、実見できたのは「モニュメンツ・メン」に負っている。本書を読んでみようと思ったひとつにこうした事情もあった。
二00九年にMonuments Menとして刊行された本書は翌年『ナチ略奪美術品を救えー特殊部隊「モニュメンツ・メン」の戦争』(白水社)として邦訳され、今回映画にあわせて『ミケランジェロ・プロジェクト』と改題のうえ角川文庫に収められた。原題とさいしょの邦題から知られるようにとくにミケランジェロの作品に焦点をあてたものではなく、叙述は多岐にわたっているが、ここではハイライトとしてのミケランジェロ「聖母子像」を追ってみたい。ミケランジェロがフィレンツェなどイタリア諸都市と交易が盛んで友好関係にあったブリュージュを訪れて製作した像は、イタリア以外にある彼の唯一の彫刻である。
一九四四年九月七日の夜か八日の早朝、ブリュージュのノートルダム大聖堂(写真はクルーズ船から撮った大聖堂)に二人のドイツ軍将校が二十人以上のドイツ軍兵士を引き連れてやって来て告げた「米軍から守るために「聖母子像」を持って行く」と。
教会側は否も応もなく、像はマットレスにうつむきにされトラックに載せて運ばれた。一九四四年九月はすでにドイツ軍の敗色は濃いのだが引き続き美術品の略奪は行われていた。欧州全土を制圧できる展望があればあわてて美術品をドイツに運ぶこともないから、敗色が歴史的遺産のドイツへの大量移送をもたらしたのである。美術品保護の観点からするとドイツ軍が優勢な時期には規律は保たれるだろう、けれど負け戦の進行とともに狂暴と腹癒せとで美術品を破壊する危険性が高まる。
ナチスの美術品への欲望は際限がなく、また手際のよさ、無駄のなさ、残忍さの手本のような争奪だったが集める熱心さとは裏腹に保存に関しては杜撰で、たとえばいまアムステルダム国立美術館に展示されているレンブラントの「夜警」は額縁から外されて絨毯のように軸に巻かれたまま置かれていた。
「聖母子像」はオーストリアのアルトアウスゼーの岩塩坑中にフェルメールの「画家のアトリエ」や「占星術師」などとともに隠されており、大理石の像は茶と白の縞の汚いマットレスの上に横たわっていた。ブリュージュから運ばれる際に用いられたマットレスだろう。ようやく像が見つけ出されてブリュージュに向けて帰郷の旅に出たのはナチス降伏後の一九四五年七月だった。
MFAA部隊の創設を進言し、指導にあたったジェイムズ・J・ロリマー中尉についてロバート・M・エドゼルは「十三ヵ月と少しのあいだに彼は何万点もの美術品を発見し、分析し、荷造りした。その中にはアルトアウスゼーだけでも、トラック八十台の美術品が含まれていた。彼はノルマンディーでMFAAの尉官を組織し、連合軍派遣軍最高司令部に圧力をかけて美術品保存の努力を拡大し、支持させるように」したと書いている。美術品の毀損に対する警戒はナチスだけでは済まず、連合軍兵士による美術品の軽視、意図せざる損傷、米ソ対立からソ連が触手を伸ばす可能性までも視野に入れておかなければならなかった。
じっさいノルマンディーで連合軍は悪戦苦闘の末に勝利したが、歴史的記念物であるサン・ローの教会の様子については、ドイツ軍が記念建造物の周囲と内部に塹壕と地下のコンクリート要塞を造ったのに対して連合軍はそれらを爆撃して平らにしてしまった、とある。映画では窺えなかった現実だ。
枢軸国と連合軍はどっちもどっちだったと言っているのではない。教会を要塞とし、美術品を強奪したのはドイツ軍だ。しかしいっぽうにはモン・サン・ミシェルに調査に行きたいと申し出た「モニュメンツ・メン」のメンバーに「これは二十世紀の戦争だ。中世の城壁と煮えたぎったピッチなんかどうだっていいんだ」という上官もいた。それだけ美術品保存は敵と味方の二項対立で割り切れるものではなく、戦争との関係は複雑である。