「一人の人間を救う者は、全世界を救う」〜「シンドラーのリスト」に思う(其ノ二)

ガラス越しに撮った写真だからわかりにくいが、よく見ると大量のメガネであるのがおわかりいただけるだろう。アウシュビッツ収容所で撮った写真で、ナチスユダヤ人から略奪したものだ。

トマス・キニーリー『シンドラーズ・リスト』に「ヨーロッパ中のユダヤ人が近視眼的な視野しかもたないことを望み、彼らの眼鏡をすべて取り上げてしまおうとねらっているナチス体制」とある。ナチスユダヤ人の視野、視力を悪くするよう図っていた。
そうしたなかでユダヤ人のために新しく眼鏡を作ってやり、修理の手配をしたりするのは勇気を要する行動だった。
シンドラーの妻エミーリェは、あるユダヤ人の眼鏡がこわれたとき修理の手配をし、知人に頼んでレンズを入れ替えた眼鏡といっしょに眼科医から眼鏡の処方箋を持ち帰ってもらった。眼鏡をめぐる佳話である。
戦後シンドラーとエミーリェの夫婦仲はうまくゆかず、離婚はしなかったものの一九五七年以来別居状態にあった。そうしてシンドラーは一九七四年に六十六歳で、エミーリェは二00一年に九十三歳で歿した。
シンドラーは希望によりエルサレムに葬られている。シオン山の墓地に葬られた唯一の元ナチ党員である。
エミーリェの墓はドイツのヴァルトクライブルクにあり、そこにはドイツ語で「一人の人間を救う者は、全世界を救う」と刻まれている。
戦争が終結したときシンドラーの工場はクラクフからチェコスロバキア、現在のチェコのズデーデン地方のブリンリッツに移転していた。ナチスの降伏が決まった一九四五年五月八日、この工場でシンドラーは指輪をプレゼントされている。生き延びた囚人の一人でリヒトという元宝石商が贈った指輪は、囚人たちが金歯を持ち寄り、リヒトがそれを地金にして直したもので、内側にはヘブライ語で「一人の人間を救う者は、全世界を救う」と彫られていた。
このときシンドラー夫妻は軍需生産に必要な労働力だとしてリストに明記した千二百人のユダヤ人とともにあった。まもなくソ連軍がやって来る。ナチスの党員であるシンドラーは事情の分からないソ連軍にどのような扱いを受けるか知れず、ここには留まれない。イツァーク・シュテルンやミーテク・ペンパーらシンドラーの身近にいるユダヤ人たちは何かちょっとした儀式で夫妻を送り出したい気持に駆られていて、それが金歯を直した指輪となったのだった。