浄閑寺

十一月に行われる荒川リバーサイドマラソンのエントリーに荒川区総合スポーツセンターに行って来た。上野に出て三ノ輪まで歩くと南千住のセンターはもう近い。
三ノ輪に来て浄閑寺を通りすぎるわけにはゆかない。この日も同寺にある永井荷風の筆塚に詣でた。もうひとつここには「震災」の詩が刻された石碑がある。なかで荷風は明治を追想し「團菊はしおれて櫻痴は散りにき/一葉落ちて紅葉は枯れ/緑雨の聲も亦絶えたりき/圓朝も去れり紫蝶も去れり」と詠んでいる。
何げなく読んでいた詩だが「紫蝶」は大正七年に四十六歳で亡くなった盲人の新内語り富士松紫朝を指しているから本来は「紫朝」であると矢野誠一氏が「荷風の誤植」で指摘している。言われてみればその通りで、長いあいだ誰も指摘しなかったのが奇妙にさえ思われる。
「盲目の新内語り紫朝ゐて市井の夢も楽しかりにし」(吉井勇