大森洋平『考証要集2』を読む

 ラグビー日本選手権決勝(2018/12/15)は神戸製鋼サントリーに圧勝して十八シーズンぶり十度目の日本一に輝いた。いっぽう地味な話になるけれど同月二十三日にテレビ観戦したラグビートップリーグ入れ替え戦豊田自動織機三菱重工相模原も見ごたえのある対戦で、あらためてラグビーっていいなと感じた。

 とくに前半、三菱重工相模原フォワード、バックス一体となってボールを運び、最後はインゴールにキックし、駆け込んで押さえたトライは努力の賜物とは承知していても、運命の女神の微笑を見た気がした。

 後半、豊田自動織機が優勢な時間はあったものの、長年にわたり一部昇格を果たせなかった三菱重工の気迫がパワーとスキルを増して快勝と昇格を呼んだ。来期の健闘に期待しよう。

豊田自動織機三菱重工相模原ともになじみのあるチームではなく、久しぶりで見る顔、聞く名前、あれ、まだ現役だったのかと知った選手がいて、久闊を叙するといった気分だった。

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 新年早々、熊本で震度6弱地震が発生した。気象庁の話では二0一六年四月に震度7を二度観測するなどした熊本地震とは別のものと考えているとのことで、それが意味するのは何か、あるいは今後にどういった影響をもたらすのかといった問題はわかりかねるが、いずれにしても難儀なことだ。

 正月三が日の地震では一八九二年(明治二十五年)一月三日に愛知県西部でマグニチュード6.5の地震が発生している。内田百閒が「初日の光」という随筆で触れていて、子供たちは「年の始めのためしとて」の文部省唱歌「一月一日」を「年の始めのためしとて、尾張名古屋の大地震、松茸ひつくり返して大さわぎ、芋を食ふこそ楽しけれ」と替え歌にして歌っていた。(被災者の気持を思うととんでもないが、当時の子供たちの光景として眺めてください)

 内田百閒は明治二十二年岡山の生まれ。愛知県地震のときの替え歌は地震のあとも相当長く歌い継がれていたという。

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 一月十六日午後、成田空港からローマへ向かい、当日の現地時間二十一時にローマのホテルに着いた。翌朝バスでポンペイへ。十日間にわたるシチリア島南イタリアの旅で、毎度旅の記録はまとめるようにしているのだが、手で記録を書くより足で廻るのが忙しくてなかなか進まない。

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 NHK時代考証を担当する大森洋平の著書『考証要集2』(文春文庫)は前著とおなじく、著者の見識、薀蓄満載の好著で、たとえば「財産」は時代劇では「身代」「身上」と言い換える、「全財産を賭けて」は「身代すべてをなげうって」とすれば格好がつく、財政は時代劇の侍台詞では「勝手向き」と言い換える、「目下厳しい財政状態」は「勝手向きはなはだ苦しきいま」といった具合。

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 本書に、武家とやくざに共通の儀礼として、玄関や門前で別れの挨拶をして歩き出したら、絶対に振り返ってはならず、この作法に反した場合は相手を信用していないことになり、やくざの世界では殺されても文句は言えなかったとあった。出典は稲垣史生『続・時代考証事典』。

 そこで『旧約聖書』のロトの妻の話を思い出した。神は悪徳はびこるソドムとゴモラの滅亡を決意するが、ソドムの町のロトだけは救おうとして、天使を遣わし、妻と娘たちを連れて逃げるよう伝えた。一家は急いで逃げたが、途中でうしろを振り返った妻はその場で塩の柱になってしまった。

 ロトの妻は神の決意を伝えた天使の言葉をわずかでも疑っていたから振り返って確認しようとしたのではないか。とすればわが国の武士とやくざの世界とおなじく信用の問題につながっていると考えられる。武家とやくざと『旧約聖書』の別れの作法をめぐる奇妙な縁である。

 同書に戦国時代の切支丹本が引用されていて「故にありすとうてれすの云く賢き人ならば科に落んよりは何たる損をも受けんにはしかじ(罪科に落ちるよりはどんな損でも受けた方がましだ)と思ふべし」とある。本書を読んだ日本人は「ありすとうてれす」(アリストテレス)を知っていたわけだ。

 そういえば江戸時代中期から後期にかけての旗本で、勘定奉行南町奉行を務めた根岸鎮衛の『耳嚢』に、南米にアマサウネン(アマゾン)という川があって、流域に女人ばかりで集落を作り、ふだんは男が来ようものなら竹槍で追い返されてしまうのだが、種族維持のため一年に一度だけは男を迎え入れているという、あのアマゾネス伝説が記されている。長崎へ行っていた人が「紅毛通詞」から聞いてきたのを記事にしたのだという。

 ギリシア神話に登場する女性だけの部族の伝説は世界各地に広がっていて、鎖国以前のわが国にも届いていたとして不思議はない。アリストテレスもアマゾネスも知る古人がいたのではないかな。

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 「赤いリンゴに口びるよせて」の「リンゴの唄」は昭和二十年十月に公開された松竹映画「そよがせ」の主題歌で、翌年一月に並木路子霧島昇がデュエットしたレコードが発売された。ゆえに戦後を象徴する歌だからと、敗戦の年の十月よりまえのシーンにこの歌を流すのは史実に反する。(大森洋平『考証要集2』)

 「仁義なき戦い」の冒頭でこの歌が流れていたので、確認したところ、テロップに昭和二十一年とあり、名画に瑕疵はなかった。

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 アガサ・クリスティー『無実はさいなむ』は、義母殺しの罪で逮捕され、無実を訴えていた男が獄中死し、その一年半後、男のアリバイを証明できるという男が現れるといったミステリーで、本作を原作にした二つのテレビドラマを見た。

 ひとつはジェラルディ・マクイーワ主演のミス・マープルシリーズ、もうひとつはBBC製作の最新版で、ビル・ナイが殺された女性の夫を演じている。そして二つとも原作に大きな変更をくわえている。

 『無実はさいなむ』はクリスティーのノンシリーズ作品だが、ジェラルディ・マクイーワ版はミス・マープルものに直して、登場人物の人物像にいろいろと手をほどこしている。いっぽう最新版にはミス・マープルは登場しないが、改変の度合は前作以上だ。

 ネタバレを避けるために二つの「無実はさいなむ」のどちらとは言わないけれど、一方は殺人事件の被害者が、他方は犯人が原作とは異なっていて、いずれもクリスティーの原曲の変奏として楽しんだが、それにしてもミステリーを原作とするテレビドラマで犯人が違うというのはみょうな気持だ。

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 先日スマートフォンの機種変更をしたところ、充電の端子がイヤホンや自撮り棒の端子を兼ねていて、これまで使っていたイヤホンや自撮り棒が挿し込めなくなった。イヤホンは付いてきているからともかく、近くチュニジア旅行のツアーに一人参加するので自撮り棒が使えないのは困る。息子に訊くとアダプターがあるから大丈夫と言うので安心したが、アップル社も変なことしてくれるぜ。

 そのアダプターをビックカメラに買いに行き、店頭にあった某社製1680円のものをカウンターに提げて行ったところ、対応した店員がアップルの純正部品が1080円でありますけど、どうなさいますかと言ってくれた。純正で、お安いからもちろんそちらにした。感心な店員さんで、とてもよい気持になった。

 機種変更をすると情報リテラシーの低い高齢者はホネだ。顔認証やSuica、PayPayなどどうしてよいかわからない。上野のソフトバンクのお店でご指導いただきやっと使えるようになった。店員さんがわたしのスマホGarminとのペアリングを見て、最先端を目指す姿勢は立派ですと言ってくれた。お世辞でも褒められるのはいくつになってもうれしいな。

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 二月六日機種変更をしたスマホを提げ、自撮り棒とアダプターを手荷物に入れ、成田空港からカタール空港を経由し、翌日チュニジアの首都チュニスに着いた。数年前モロッコを旅して、次はチュニジアだと期待していたが、テロの影響でツアーの募集はなくなり、さきごろようやく旅行社が再開してこんどの旅行となった。

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 チュニジアから帰国した直後にぴったりの「メリー・ポピンズ・リターンズ」だった。

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 午後のひととき、ゆったり、ぼんやりしたわたしを心踊るファンタジーが癒してくれた。前作を引き継いだ楽しい音楽と踊り、現代の映像技術を駆使した実写とアニメの融合などでメリー・ポピンズが現代に蘇った。もちろん 前作をリアルタイムで見た者にはノスタルジーを呼び起こしてくれる。ロブ・マーシャル監督、じょうずなものだ。

 贅沢を言えば、前作の名曲「チム・チム・チェリー」は挿入歌として用いてほしかった。

 帰宅して、夜のNHKニュースを見ていると、民主党政権で外相だった岡田克也氏が「民主党政権の時代は悪夢」とする安倍首相の発言を取り上げ、撤回を求めていて、「感情」だけで政治的な「勘定」は皆無のばからしい質疑にあきれてしまった。

せめて、民主党政権は失敗も多かったが、全体主義に通じる統計調査のごまかしをあいまいなまま済ませたり、開き直ったりする姿勢はなかったくらい言えないものか。

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 地中海性気候のチュニジアから帰ったばかりで東京は余計に寒く感じられる。ふだんは千代田線を使うのに根津駅から一駅歩いて湯島で乗ることが多いのに、きょうは根津で乗車した。加齢とともに寒さに弱くなっているのかもしれない。長年にわたる、心とふところの寒さがいまになって効いているか。

 夏井いつき『子規365日』(朝日新書)の二月十七日の項に「あたたかな雨がふるなり枯葎」が採られている。雨にあたたかさを感じるようになれば、春を待ちつつとなるが、きょうの都内ではほんのわずかだが雪が舞った。もっとも枯葎、枯れた雑草の根方では新しい芽吹きの準備が行われているかもしれない。

「納豆売新聞売と話しけり」。

 おなじく夏井本にある子規の句で、詠んだのは死去した前年明治三十四年だから、病床から屋外を眺めた際の光景であろう。立ち話する納豆売と新聞売との話題はなんだったのかな。新聞売は新聞配達の意か、立ち売りか、調べてみるとそのころは戸別配達制度は始まっておらず店売りか立ち売りだった。この句で納豆を冬の季語と知った。