国勢調査異聞

日本ではじめて国勢調査が実施されたのは一九二0年(大正九年)十月一日だからこのほど行われた令和二年国勢調査は、第二十一回目、ちょうど百周年の調査となった。今回はとくに新型コロナウイルスの感染拡大を防止する観点から、ポスト投函やオンライン回答が推奨されていて、わたしもスマートフォンでなんとか回答できた。

さかのぼって昭和戦前の国勢調査はいまのそれよりもずいぶんややこしいものだったらしい。永井荷風は『断腸亭日乗』昭和十五年七月四日の記事に「当月一日より戸口調査あり。町会より配布し来りし紙片に男女供身分その他の事を明記して返送するなり。これを怠るものには食料品配給の切符を下附せずと云ふ。日蔭の世渡りするものには不便この上なき世となりしなり」としるしている。

これによると国勢調査(戸口調査)への回答を怠れば食料品の配給切符が回って来ないというペナルティがあった。その際「日蔭の世渡りするもの」つまりいまでいう性風俗業従事者には職業欄にどう書けばよいかというやっかいな問題があった。

じつはこれについて荷風は以前になじみだった女性、それも二人から電話で相談を受けていた。いまアパートに住み 「相変らずの世わたり」すなわち春をひさいでいるけれど戸口調査にどう書けばよいか困っていて、表面だけでよいから先生のお妾にしていただければありがたいとの依頼だった。

荷風としては書類上のこととしてもお妾を二人も三人も抱えるとなると税務署に目をつけられる恐れがあり、彼女たちには「それよりは目下就職口をさがしてゐるやうに言ひこしらへて置くがよし」とした。

新型コロナウイルス対策の一環としての持続化給付金の支給対象に性風俗店で働く人々を含めるかどうかについての混乱があったのは記憶に新しいが、かつての国勢調査をめぐる荷風の日記にはその第一幕の様子が述べられているようである。

うえの日記が書かれた翌年昭和十六年の開戦の日、十二月八日に荷風は発表するあてのないままに小説『浮沈』を起稿した。じじつ戦時中は発表の機会はなく戦後昭和二十二年にようやく上梓された作品で、ここでも荷風は戸口調査を扱っている。おそらく前年の日記を下敷きにして作品に取り入れたのだろう。

『浮沈』の主人公さだ子に君子という友達がいて、津村という有名な画家をパトロンに喫茶店をやらせてもらっている。ところが昭和十五年の国勢調査を機に画伯と君子の愛人関係は解消となる。そのいきさつについて彼女はさだ子に「先月戸口調査や何かがあつたでせう。わたしが先生の二号になつてゐることが、警察や何かに知れると都合が悪いツて云ふやうな訳なのよ。虚言だかほんとだか知らないけれど、先生は政府の御用をするやうになつたんで、喫茶店のマスターなんかしてゐることが知れては困るツて云ふやうになつて来たの」と語る。

荷風の日記の二人の女性は、職業欄に妾としておきたいと荷風に頼んでいたが、『浮沈』では妾とするとパトロンに迷惑がかかるからと愛人関係は解消となる。ついでながら君子は別れる代償に喫茶店をもらい受け、純喫茶はやりにくいと「特種のはうへ届替え」する、つまり 「特種」という性風俗業界への逆戻りである。

こうして荷風は日記で、また小説で国勢調査が社会の底辺に生きる「日蔭の世わたりするもの」を追いつめ、じりじりと炙りだしていく様子をしっかり書きとめたのである。

荷風が小説に書いた女性たちの多くは公娼、私娼、芸妓、カフェの女給、小さな劇場の踊子たち、いわば社会のいちばん低いところで生きる人たちで、(しかし勇敢に生活と奮闘する女性たちである)彼女たちを描いたことでエッチな話ばかり書いている作家というイメージが生じた。たしかに稀代の好色家ではあったが「日蔭の世わたりするもの」への視線がどのような質のものであったかは彼女たちと国勢調査とのかかわりひとつとっても明らかであろう。