「ブルーに生まれついて」

ジャズの東も西もわからないころ何かの本か雑誌で「チェット・ベイカー・シングス」という素敵なアルバムがあると知った。四十年以上も昔のことなのでネットで検索して聴くわけにはゆかず、小遣いのゆとりはなかったからレコード店で探すこともないままだった。
そうした折り、家族でドライブのとちゅうたまたま目にした瀟洒なレストランに入って食事をしていると男性ジャズボーカルのディスクがかかった。静かなたたずまいの洗練されたレストランに妖しく囁くような、両性具有か中性的な感じの歌声が流れた。
このときわたしがチェット・ベイカーについてどのような情報を持っていたかはっきりしないけれど、ひょっとしてこれが活字でしか知らない「チェット・ベイカー・シングス」なのではと推し測った。
そのあとすこししてアルバムを聴く機会があった。あのレストランで思った通りだった。活字を通して受けた何物にも代えがたいジャズマンとしての稀代の個性が勘や邪推よりすこしましな当て推量を可能にしていた。そしてこれがウエスト・コースト・ジャズを代表する作品のひとつと知った。東も西もわからないなかではじめて西に向かった瞬間だった。

「ブルーに生まれついて」はイーサン・ホークチェット・ベイカーに扮した伝記映画。
チェット・ベイカーは甘いマスクとトランペットそしてソフトな歌声で一世を風靡したジャズマンだったが、やがて麻薬に溺れ、再起を期そうとした矢先、クスリをめぐるいさかいから顎を砕かれ前歯をすべて失うという致命的な状態に陥る。映画はこのどん底の日々から奇跡的なカムバックを遂げるまでを描く。ちなみに「チェット・ベイカー・シングス」のレコーディングは一九五四年、前歯を失い演奏活動の休業を余儀なくされたのは一九七0年だった。
ディジー・ガレスピーのはからいによりチェットはニューヨークのジャズクラブ、バードランドのステージで復活を果たした。映画のなかでステージを見たある音楽プロデュ―サーが「技倆は落ちたが、そのことで深みが増した」とささやいた。その「深み」はわたしには解ききれない謎だが、麻薬から抜けられなかった弱さ、孤独と愁いに覆われた人生、哀切なトランペットの音色、諦観と脆さを秘めたボーカルはいずれもここに発している。
この「深み」を演技で示すのは並大抵のことではないはずだが、イーサン・ホークチェット・ベイカーはその課題に応えていて、精神の傾注ただならぬものがあったことをうかがわせる。

チェット・ベイカーの晩年のコンサートをビデオで見たことがある。「チェット・ベイカー・シングス」のジャケット写真の青年の変わりようは大きく、そこには酒と女色に溺れ、クスリを断ち切れなかった果てとしか考えられない老いた姿があった。その姿はまたかろうじて生きながらえてなおジャズを掴んで離さない鬼気を感じさせた。
残念ながらそこから先の「深み」の行方はわからない。
一九八八年五月十三日チェット・ベイカーはオランダ、アムステルダムのホテルから転落して亡くなった。享年五十八。原因は定かではない。
(十一月二十九日Bunkamuraルシネマ)