ベオグラード要塞(2016晩秋のバルカン 其ノ七)


米原万里が在籍したプラハのロシア語学校には五十か国以上の国の子供たちが通っていた。ここで歴史と地理を担当したアンナ・パヴロヴ先生は授業で取り上げる国の出身者がクラスにいると、その生徒が自国についてしっかり語ることができるよう指導していた。
その授業で、ユーゴスラビアから来た聡明な少女ヤスミンカはベオグラードについてこう語っている。
ローマ帝国の版図が広がっていく中で、次第にドナウ河がその北限の役割を果たすようになっていきます。ドナウ河を挟んで、ローマ帝国は異民族と対峙したのです。そのため河に沿って、いくつもの要塞が築かれていきました。ドナウ河とサヴァ河が合流する地点を見下ろす丘の上に建設されたのが、シンギドゥヌムという名の要塞都市です」「ちなみにヘロドトスは、今から二五00年以上も前にシンギドゥヌムのことを『絶え間なく破壊を繰り返す都市』と記しています」。