「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」

一九九一年全米フィギュアスケート選手権でトーニャ・ハーディングアメリカ人としてはじめてトリプルアクセルを成功させた。翌年のアルベールビル五輪では四位に終わったが、選手生活としては順風満帆だった。
それが暗転したのが九四年のリレハンメル五輪の選考会で、彼女のライバルだったナンシー・ケリガンが何者かに襲われて膝を痛打され、後日、事件の首謀者としてトーニャの元夫が逮捕され、トーニャは黒幕と疑われた。
司法判断は五輪後となったためトーニャはリレハンメル大会に出場し、そこで靴紐のせいで演技ができないと審査員にやり直しを認めさせ、鉄面皮と恥の上塗りを曝して八位入賞にとどまり、帰国後、有罪判決を受け、いっぽうのナンシー・ケリガンは銀メダルを獲得した。
これを「史上最大のスキャンダル」とするかどうかはともかく、すくなくとも「すいません、おっぱい触っていい?」の財務省セクハラ事務次官や出会い系サイトで知り合った女子大生二人を買春した新潟県知事のスキャンダルよりも、悪のフィギュアスケーターのほうに軍配が上がるのはたしかだ。

努力を重ね、苦難の果てに栄光を掴んだ人物のドラマより、あとわずかでスターの座に届かなかった、あるいはスターになり損ねてアンチヒーロー、ヒロインになってしまった人物を描くほうがだいぶんむつかしい気がする。しかもスポーツ界で悪名を馳せ、もっとも嫌われた女性を。ところがこの映画はそれを軽々とやってのけた。
語り口がよい。「ラースと、その彼女」「ミリオンダラー・アーム」のクレイグ・ギレスピー監督は事件の再現と、愚行に及んだトーニャの半生を、トーニャ、その母親、元夫と仲間、コーチたちの証言をもとに浮かび上がらせた。嘘か本当かは別にしてかれらの言い分はこうですという「羅生門」の手法である。ただし証言内容は異なっても刹那的で合理性を欠いた愚行であるのはまちがいなく、本人たちは切実だからかえってユーモラスに映る。
役者がよい。トーニャ(マーゴット・ロビー)、母親(この役でアカデミー賞助演女優賞を受賞したアリソン・ジャニー)、元夫(セバスチャン・スタン)たちが下層にうごめく人たちを好演している。
残酷、薄情に臨んだことがトリプルアクセルの成功を生んだと信じて疑わない母親、貧しい家庭で母親の異様な厳しさのもと育てられたスケート漬けの娘、母への反撥から家を出た娘がともに暮らした男は杜撰と暴行のてんこ盛り、その仲間ときたら欲望だけが一丁前の粗雑極まるうすらバカ、そうしたなかプロスケーターを望んでも米国のプロスポーツ界におけるフィギュアスケートの位置からしてトップにならない限りなかなかスポンサーはつかない。オリンピックに出場したくらいのウデではカネは稼げない。こうして露わになるのはフィギュアスケートにまつわるアメリカン・ドリームの裏事情で、事件は特殊とばかりは言えない。
かれらの姿を嗤うのはたやすいが、自分とは無関係と言い切るのはむつかしい。学校では秀才だった財務省事務次官新潟県知事も人生の判断という点では横並びである。
思ったほど点数が伸びなかったトーニャが採点委員の一人に詰め寄ると、ある委員は「技術だけではなくて芸術点もあるのよ」と答え、別の委員は「君のパフォーマンスは私たちが求めているのと異なるんだよ。アメリカの家庭の幸福に裏打ちされた演技であってほしい」と応じた。
「史上最大のスキャンダル」の裏面では芸術性という名の品位や家庭のあり方も問われていた。
(五月五日TOHOシネマズシャンテ)