ロマノフ家の秘宝

この五月にサンクトペテルブルクとモスクワで見たロマノフ王朝の金銀財宝や美術品はとてつもなく豪華なものだった。
五時間かけて見学したエルミタージュ美術館はエカチェリーナ二世(1729-1796)の専用美術品展示室に発していて、後代のロマノフ家やロシア革命のあと没収した貴族のコレクション等を統合し、併せるとおよそ三百万点を数える。そのなかの一部が金箔の施された宮殿に展示されている。
いっぽうクレムリンの武器庫、ダイヤモンド庫等の展示ホールにはロシア皇帝のレガリア、エカチェリーナ二世の戴冠式のドレス、愛人の一人が女帝に贈ったオルロフと呼ばれる世界一大きなダイヤモンド、金細工職人ファベルジェによるイースターエッグなどがあり、まさしく華麗なる至宝と呼ぶにふさわしいコレクションである。
エカチェリーナ二世は豪放磊落で派手好みの女帝だった。伝えられる閨房生活は夫ピョートルの性的能力の欠如もあり、公認の愛人が十数人、そのほか寝室をともにした男妾は数百人を数えた。金箔の宮殿は女帝の愛の空間だった。

女帝の趣味は別にして王朝は金銀財宝や豪華な宮殿で莫大な経済力と威信を示そうとする。これはロマノフ家に限らず王朝の通例であるが、しかしそうした時代がしばらく続くうちに人心は変化する、飽きもくる、いつまでも派手でキャピキャピな文化を誇っているとなんだかはしたなく思えてきてシブい好みも尊重されるようになる。そんなふうにわたしは「文明論之概略」を考えていて、黄金の茶室で大名茶を点てた秀吉に千利休が反撥したのにもこうした事情があったように思う。きっとロシアにも利休のような人物がいたのではないかと想像するが、あまりの豪華絢爛にかき消されたのかもしれない。
旅行中、こうした感想の一部を写真とともにFacebookに載せたところ、知人のSさんから「たしかに見応えのある作品は多いのですが、エカチェリーナの権力と財力で掻き集めた感があるなぁ、と思うのは私だけでしょうか」と書かれたおたよりを頂戴した。
そこでわたしは「本音を言えば、こうした人を圧倒する美術館よりも、キラリと光る作品で魅せるところが好きです。これまで見たなかでいえばシラクーサの教会にあったカラヴァッジョやデン・ハーグのマウリッツハウス美術館にあるフェルメールとか」と返信したところ彼女から「まったく同感です。記憶に残らない作品がたくさんあるより、感動できる作品が一つあるだけで、心に響きますよね」との意見が寄せられた。
帰国して読み返してみると、エルミタージュやクレムリンではまだまだもの足りないと言ってるみたいで、なんと豪奢なやりとりだろうと思わず苦笑した。
ところでロマノフ王朝の財宝については東大の加藤陽子先生が『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)のなかで日露戦争と関連付けて論じており、同書によると日本は朝鮮半島を国防の生命線として最重要視していたのに、ロシアはその度合を低く見積もっていて、朝鮮半島をめぐる権益についていろんな要求を出してもまさか日本が戦争に踏み切ることはないと考えていた。加藤先生は、その背景にロシアの高官たちの日本を軽視するまなざしがあり、かれらはロマノフ家の金銀財宝を目にしているうちに「日本ごときが」と思うようになったのではないかと推測している。
だとすればわたしがサンクトペテルブルクとモスクワで見たロマノフ王朝の金銀財宝、美術品はロシア帝国の対日観を狂わせ、その結果が日露戦争の敗北であり、これが社会主義革命につながったから、貨幣価値とともにその世界史上の意義はまことに大きかったと言わなければならない。