アルハンブラの哀愁(西班牙と葡萄牙 其ノ二十五)


イベリア半島では長くキリスト教徒とイスラム教徒との対立が続いた。八世紀はじめに全域がイスラム圏となりコルドバを都とする後ウマイヤ朝が栄えたが、十一世紀のはじめにはキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が本格化し、十三世紀中葉になるとイスラム教徒に残されたのはグラナダを中心とするアンダルシア南部地方のみとなった。
この時期に建国したのがイベリア半島における最後のイスラム王朝ナスル朝で、アルハンブラ宮殿はこの王朝のもとで整備、拡充された。いっぽうキリスト教徒の攻勢は続き、一四九二年レコンキスタは完了する。この時点でイスラム勢力の最後の拠点だったアルハンブラ宮殿は陥落した。
久米邦武編『米欧回覧実記』の「古時回徒ノ蔓延ニテ、国内ニ数百年ノ血ヲ流シ、竟ニ駆除シテ、全国ヲ羅馬『カトレイキ』教ニ導キ」とあるのはこうした事情を含んだ記述である。
こうして夢の跡としてのアルハンブラ宮殿には哀愁感が漂う。