『高い窓』訳文雑感〜タフについて

ハードボイルド小説の根幹をなす用語にタフがある。以下は、この言葉が『高い窓』の三つの訳書でどのように扱われているのかの一例で、同書15章にある、マーロウとロサンジェルス市警の刑事とのやりとり。

はじめに村上春樹訳。
〈「おれたちはタフになるためにここに来たわけじゃないんだ、マーロウ」
「そいつは何よりだ。(中略)もしタフになったら、いったい何をするつもりなんだ?突き倒して、顔でも蹴るのか?」〉

つぎに清水俊二訳。
〈「俺たちは君を締め上げに来たわけじゃないよ、マーロウ」
「結構だね。(中略)強面でやって来たら何をするんだー私を殴り倒して、顔を蹴とばすのか」〉

田中小実昌
〈「われわれは、なにも荒っぽい真似をするために、ここによったんじゃない」
「ほう(中略)じゃ、ほんとに、荒っぽいやり方のときは、ぼくをなぐりたおして、顔でもけとばすんですか?〉

レイモンド・チャンドラーの最後の長篇小説『プレイバック』が清水俊二の訳により刊行されたのは1959年(昭和34年)のことだった。のちに生島治郎が「タフでなくては生きて行けない。やさしくなくては生きている資格はない」と訳しなおして広めたマーロウの言葉を清水は「しっかりしていなければ、生きていられない、やさしくなれなければ、生きている資格がない」としている。
一九七0年代後半、清水は『プレイバック』を訳した当時はまだ「タフ」は一般的ではなく使う気になれなかった、いまだと「タフ」のほうが適切と考えるだろうと述べたことがある。
清水俊二が亡くなったのはそれからおよそ十年経った一九八八年五月二十二日で、亡くなる前日まで取り組んでいた『高い窓』の訳稿は未完のまま残され、最終的には弟子の戸田奈津子が後を引き継ぎ完成させた。
清水が『高い窓』の訳稿にとりかかったとき「タフ」はすでに広く行き渡った言葉となっており、先行する田中小実昌訳『高い窓』でも多用されていた。にもかかわらず清水はこれまでと同様「タフ」を採用していない。おそらく従来の訳文との整合性を考慮したと思われる。
上の三つの訳文では村上春樹が「タフ」を投入してハードボイルドらしい雰囲気を高めており、他方田中訳と清水訳は「タフ」の多義性を踏まえ、場面に応じた訳語を充てて具体的なイメージを提示している。訳語の選択は創作者の意図を見抜く訳者の眼力の作用にほかならないが、三者三様の見抜き方には「タフ」という単語の広がり、浸透の度合など時代の雰囲気も作用している。