「八月の家族たち」

オクラホマの片田舎。「口内にガンを患う妻は薬漬け、自分は酒びたり、健康など知ったことじゃない」とうそぶく夫。ところがその人が突然失踪して行方不明となる。
母親のもとに三人の娘たちが駆けつける。たちまち毒舌家の母親が、浮気した夫と別居中で子育てにも手を焼いている長女、婚約者を連れてやって来た次女、従兄弟との恋に夢中の三女に嫌味と皮肉のジャブを見舞い、これに娘たちが応酬するうちにパンチが繰り出されるようになる。そうするうちにそれまで隠されてきた家族の過去や秘密が、あるいは見て見ぬふりをしてきた問題がつぎつぎと表に出て、辛辣なドラマが進行する。

母親と三人の娘、さらには母親の妹夫婦とその息子(三女の恋人、ベネディクト・カンバーバッチ)なども絡んで会話はどこへ向かうかわからないほどスリリングに乱反射し、秘められてきた問題がいまや一族に刺さった棘となって混乱に拍車をかける。
どう転んでも一件落着とはならないミステリーを前にして、家族の絆を維持するには何らかの嘘、虚構を織り込んでおいたほうがよいのかもしれない、百パーセント事実が明るみに出るとどうにもやりきれないなと愚痴とももつかぬ言葉を口にしたくなった。
けれどそのいっぽうで、他者との協調を欠く母親はこれからどうするのだろう、長女の家庭は、そして次女、三女の恋のゆくえは、といったふうにいつしかこちらが一族のための着地点を心配してあげている。観る者をこんな気持にさせるのだからこの映画の質はわかっていただけるだろう。
口のききようで天下国家が揺らぐのは一身一家とておなじである。母親(メリル・ストリープ)と長女(ジュリア・ロバーツ)をはじめとする役者陣の演技合戦をとおして「八月の家族たち」は感情をぶつけあい、口論を繰り返し、怒り、とまどい、揺らぐ。だけどその底流にはおたがいの断ち切りがたい思いが見えている。家族だもの。
登場人物をひとところに集めた演劇仕立ての映画だなと思って原作をみるとトレイシー・レッツ(脚本も担当)のAugust: Osage County(映画の原題もおなじ)はピューリッツァー賞トニー賞を同時受賞した戯曲だった。
監督は「エデンより東へ」や「カンパニー・メン」のジョン・ウェルズ
(四月二十一日TOHOシネマズシャンテ)