映画「墨東綺譚」余話(其ノ四)〜荷風の刺青

この映画には、お雪が、あなた腕に刺青があるわねえと口にすると、荷風が腕をまくって見せるシーンがある。じじつ荷風は左腕内側に刺青を彫っていた。
断腸亭日乗』昭和十一年一月三十日には「帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし」という有名な愛人一覧の記事があり、そのなかに吉野こう、すなわち新橋新翁家の芸者富松の名がある。つきあいがあったのは「明治四十二年夏より翌年九月頃まで」と長い期間ではなかったが、荷風と富松は二世を誓ってたがいに左の二の腕に相手の名を彫った。
こういうのを起請彫というそうだ。荷風の本名は永井荘吉、富松は吉野こうだから、彫られた名は「さうきち」と「こう」だった。
これについては荷風自身が『断腸亭日乗』昭和十五年三月十二日の記事に「かの富松といひしげい者と深間になり互に命といふ字を腕にほりしころの事など夢のやうに思返さるゝ折りから」と書いて刺青に触れている。富松とのなじみのいきさつについても随筆集『冬の蠅』に収める「きのふの淵」に詳しく述べている。
いっぽう富松のほうも「萬朝報」のインタビューに応じて荷風とのいきさつを語っている。「女から見た男」と題する記事で、大正五年六月三十日から七月四日にかけて掲載されており、刺青を彫りあったとき、富松にはなじみの旦那がいたとあったりして、複雑な男女の関係を窺わせる。
荷風の刺青をじっさい見た人に橋本敏男氏がいてそのいきさつを『荷風のいた街』に書いている。はじめ二00五年に文芸社から、その後二00九年にウエッジ文庫から増補版が刊行された。著者は一九三七年生まれ、元読売新聞の記者、下町で焼け出され、福島に一時疎開し、敗戦の年の暮れに市川に移って来た。

断腸亭日乗』に菅野湯という銭湯の名がはじめて出るのは昭和三十三年十一月四日。その後も何度か記載がある。
橋本氏は荷風の最晩年、その菅野湯で偶然に荷風の刺青を見た。一番湯からひととき経った時間帯、洗い場には著者だけがいたところへひとりの客が入ってきた。ひとめ見て永井荷風と知れた。
〈少し先の蛇口前に座った荷風を左横から見ることになった。目に飛び込んだのは、荷風左二の腕にはっきりと彫られた刺青であった。「こう命」と読めた。このように名前を入れた刺青は、愛し合った男女がその愛の証に互いに相手の名前を腕に彫り込むものだと、小説などで読んで知ってはいたが、この高名な文学者の二の腕にあるとは思いもよらず、一瞬目を疑った。驚きであり、心臓が音を立てて高鳴るようであった。〉
もとより貴重な証言である。
荷風と二人だけの昼下がりの銭湯はなんだか幻想的で、そこでの体験は著者のその後の人生に大きな意味をもたらしたような気さえする。すくなくとも後年『荷風のいた街』を書く契機となる出会いだった。
 
  『荷風のいた街』増補版には元版での荷風の刺青を見た体験をさらにいろいろな文献で跡づけた「考証・荷風の刺青」が収められている。
ここで著者はもうひとり荷風の刺青を見た人、毎日新聞の記者で荷風と親しかった小門勝二の文章を挙げる。荷風死去直後の昭和三十四年五月六日、七日の毎日新聞に載ったもので、四月三十日朝に亡くなった荷風の検死の成り行きを語った箇所にある。
荷風は銭湯に出かけるとき、(刺青を隠すためにー引用者)必ず膏薬を用意していた。(中略)(検死をー引用者)かたずをのんでみていると、膏薬はなかった。膏薬の布のはがしたあとに「こうの命」という四字の入墨が、はっきりと立会った人たちの目に映った。〉
おなじく荷風の刺青を見たのであるが、橋本は「こう命」、小門は「こうの命」としている。互いに仲を契り合った男女が彫る刺青としての定法は「こう命」である。橋本氏は「私としては、自分が目撃したものが事実であったと思っている。この著者(小門勝二、引用者註)の見間違い、あるいは勘違いではなかろうか」と述べている。荷風についての研究書もほとんどが「こう命」を採っている。
そこで映画「濹東綺譚」に戻る。荷風が腕をまくってお雪に刺青を見せる場面、そこに彫られてあるのは「こうの命」なのである。

ところが新藤監督は『『断腸亭日乗』を読む』につぎのよう書いた。
荷風の左腕の内側に、「こう命」という刺青があります。この吉野こうは、芸者の富松のことで、荷風が深く傾倒した女です〉。
映画は一九九二年二月に完成し六月に封切られた。

著書は映画の完成したとおなじ二月の五日から毎水曜日に四回にわたって行われた「岩波現代セミナー」での講義が基になっている。映画とセミナーとのあいだにはさほど時間は経っていないのだが、刺青については映画と本でそれぞれちがう扱いとなっている。
「こう命」と「こうの命」。

新藤監督は、どちらを採るか揺れていて、映画撮影中とセミナーのときとで異なる対応となったのか。それとも撮影時は「こうの命」と思い込んでいたのが、セミナーを前にして「こうの命」としたのだろうか。(了)