昭和三十年代の前半、教職員の勤務評定をめぐって日本の教育界は大荒れに荒れた。なかでもふるさと高知では全国でも有数の激しい反対闘争が繰り広げられ、教職員組合の主要幹部や勤務評定書を提出しなかった校長が懲戒免職処分となった。組合幹部の一人だった藤本幹吉先生(故人)も懲戒免職となり、高等学校の教員からペンネームを土佐文雄として、高知を根城とする作家に転じた。(後年、裁判所の和解調停により復職)
その代表作に、おなじく高知が生んだプロレタリア詩人槇村浩の二十六歳で夭折した生涯を描いた『人間の骨』がある。同作は一九七八年(昭和五十三年)に自主製作で映画化されており、木之下晃明監督、佐藤仁哉、佳那晃子、加藤嘉、大泉滉といった役者さんが出演している。
わたしが槇村浩を知ったのも『人間の骨』を通じてだった。作者とは二三回酒席を御一緒したこともあった。また面識のあった年長者のなかに、旧制中学で槇村と同級の方もいらした。槇村とその代表作「間島パルチザンの歌」を知ったいきさつである。
いま高知市の中心部にある城西公園(旧刑務所跡地、槇村浩、本名吉田豊道はここに収監されていた)には「間島パルチザンの歌」の詩碑が建つ。
〈思い出はおれを故郷へ運ぶ
白頭の嶺を越え、落葉松の林を越え
蘆の根の黒く凍る沼のかなた
赭ちゃけた地肌に黝ずんだ小舎の続くところ
高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ〉
間島から朝鮮半島を偲ぶ「間島パルチザンの歌」の冒頭の箇所だ。
〈風よ、憤懣の響きを籠めて白頭から雪崩れてこい!
濤よ、激憤の沫きを揚げて豆満江に迸れ!〉
このような厳しい気候風土の地に抗日パルチザンは根拠地を置いた。というか、置かざるをえなかった。
こうして間島はわたしのなかでずっと気になる土地だった。
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間島すなわち中国延辺朝鮮族自治州。北朝鮮とロシアに接する中国領で朝鮮族(韓国系中国人)がおよそ四割を占める。中韓両国のあいだで領土問題が火種としてあり、中国人と朝鮮族との関係をはじめ社会的にもむつかしい地域のようだ。
先年「チェイサー」で話題となったナ・ホンジン監督の新作「哀しき獣」の主人公は中国延辺朝鮮族自治州でタクシー運転手として働く男だという。これはじっとしていられない。「チェイサー」を凌ぐクライム・サスペンス、コリアン・ノワールの傑作として売り出されている映画だが、わたしにはそれ以上に間島の置かれた社会状況や風景を見てみたい、その気持のほうが強かった。
観ると延辺にロケした光景(だと思う)は冒頭の場面を中心にそれほど長くはないが撮られていた。韓国に出稼ぎに行っている妻との音信が途絶え、麻雀の負けで借金に追われる主人公の心象風景に合わせるように吹きだまり的な面が強調されていたとしても、ある一面は眼にしたわけだ。
また、間島から韓国に出稼ぎに行った人々と現地韓国人とのあいだで生じている摩擦も描かれていた。
原題は「黄海」。主人公の男は密航船で韓国に入国する。この海域、中国と韓国のあいだで排他的経済水域に関する争いがあり、これに北朝鮮が絡む。三国の利害関係と政治的緊張が漂っている。それらのことが念頭にあっての「黄海」なのだろう。
借金返済のため殺人を請け負い、韓国に密入国した朝鮮族の男が目的を果たそうとするが、相手は別の何者かに殺され、男はそれを目撃したために追われる身となる。殺人を請け負わせた密航手配の黒幕も韓国にやって来て、三つ巴の闘いが繰り広げられる。心理的な綾や忖度などどこかへ吹き飛ばしての仁義なき戦いだ。
カーチェイスとともに包丁や斧によるバイオレンスの場面がけっこう長くつづく。(正視に耐え難いところもありますが。)アクション・シーンにおける原始的な武器は、社会的に厳しい状況に置かれている延辺の朝鮮族が手にするのに恰好の象徴と考えたのかも知れない。いささか脚本の肌理が粗いのが難だが、荒々しい暴力のなかから哀しみとかすかな抒情が立ちのぼるアクション映画だ。(「哀しき獣」二0一一年一月十五日シネマート新宿)
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