さいきん喫茶店で本を読む前に、早川真平とオルケスタ・ティピカ東京の演奏による「赤い靴のタンゴ」をiPodtouchで聴いている。過日、奈良光江の記事を書いた際にYouTubeで知ったこのヴァージョンはタンゴ楽団ならではの演奏と編曲の妙が愉しめる。78回転のノイズがノスタルジーに誘う。
奈良光江が歌った「赤い靴のタンゴ」は古賀政男がイギリス映画「赤い靴」に刺激を受けて作曲した。そういえば林伊佐緒が作曲し自身で歌った「ダンスパーティの夜」もフランス映画「舞踏会の手帖」に感銘して出来た曲だったのを思い出し、ひさしぶりにDVDで「舞踏会の手帖」を観た。今週を和製タンゴ仕入れ強化週間としてCDやYouTubeをあちらこちらとさまよっている。YouTubeで松島詩子の「マロニエの木陰」のいくつかのヴァージョンを視聴し、そこからタンゴではないけれど、おなじ歌手の戦後のヒット曲「喫茶店の片隅で」に行ったところ、これがおしゃれで哀感漂う名曲だった。「アカシヤ並木の黄昏は/淡い灯がつく喫茶店/いつもあなたと逢った日の/小さな赤い椅子二つ/モカの香りがにじんでた」。「喫茶店の片隅で」の一番の歌詞。作詞矢野亮、作曲中野忠晴。YouTubeにあった若き日の松島詩子は断髪のモダンガールなのだった。DVDで「PARIS(パリ)」を観た。病に冒されたピエールと弟を案じる姉のエリーズを物語の軸にパリに生きる人々のありふれた日常と街の風景がパッチワークのように描かれる。画面上の何気ないたたずまいや人々の生活を眺めているだけでパリに生きる、ひいては現代に生きることの哀歓が伝わってくる。
「PARIS(パリ)」。ピエール(ロマン・デュリス)のアパルトマンでのパーティで弟を心配そうに見つめているエリーズ(ジュリエット・ビノシュ)を、そうとは知らない客の女性が「壁の花になってちゃだめよ」と言ってダンスに引き入れる。「壁の花」をフランス語で何と言っているのかわからないのが残念。
昭和四年の「東京行進曲」の一節に「ジャズで踊って/リキュルで更けて/あけりゃダンサーの/涙雨」(作詞西條八十)とあるように昭和初期の東京はダンスホールが大流行し、そこで女性が壁を背に客の指名を待つという新しい職業ができた。ダンサー、つまり「壁の花」はその代名詞だった。
客に指名されて一曲踊るごとにダンサーはチケットを受け取って収入を得た。有閑夫人のお相手をする男のダンサーもいた。しばしば男女のダンサーと客とのあいだでのスキャンダルが報じられ、ダンサーは都会のモダニズムの象徴であるとともにエロ・グロ・ナンセンスのエロの部に描かれるようになった。
(同上)
警視庁はダンスホールの規制を強化し、昭和三年十一月には舞踏場取締規則が発布されホールを許可制とした。東京市にはユニオン、日米、国華、帝都、和泉橋、銀座、新橋、フロリダの八大ホールがあり、このうち帝都ダンスホールのジャズシンガーとして有名になったのが淡谷のり子と松島詩子だった。
(同上)
西沢爽『雑学東京行進曲』によると「壁の花」という言葉は鹿鳴館の頃からあったというので「日本国語大辞典」を引いてみたが見出し語、用例とも見あたらない。ただ壁の語釈のひとつに、遊廓で張見世の末席の異称、新造女郎などが席を占めたとあって、壁の奥深さを知った。