昔の歌にはまった!(其ノ二)

二月九日
戦前に日本から上海へ渡ったジャズマンの物語「上海バンスキング」に触発されて、日本の男性ポピュラー歌手の鼻祖、二村定一の生涯を描いた毛利眞人著『沙漠に日が落ちて 二村定一伝』を手にする。二村は色川武大の『怪しい来客簿』やエッセイでもおなじみで、毛利氏の新刊で色川本における二村像がどんなふうに扱われているのだろう、それだけでも楽しみであり、期待感いっぱい。ところが同氏の前著『ニッポン・スウィングタイム』も未読のまま。さてどちらから読むか。
放埓な神経の持主なのに本のことになるとみょうに慎重、律儀になったりする。毛利眞人さんの近著か前著か、うじうじしているのは、それだけ期待度が高いからでもある。理屈からすれば、総論的な『ニッポン・スウィングタイム』からかな。といった次第でまずはこちらからスタート。

景気付けに「青空〜あなたとならば」というCDにある川畑文子の「月光値千金」「上海リル」「あなたとならば」などを、ついで「上海バンスキング」のCD、吉田日出子でおなじナンバーを聴いた。
はじめて川畑文子の「月光値千金」を聴いたときは吉田日出子と似ているのにおどろいた。つまり吉田日出子が範としたのが川畑文子だった。
川畑文子は昭和七年十七歳で来日した日系三世の歌手で、タップダンスにも優れていた。昭和のモダニズムに咲いた名花として過言ではない。昭和十四年に結婚で引退、帰米したそうだが、長命で二00七年まで御存命だった。
Twitter上ではその川畑文子を含む戦前のポップ系歌手のアルバムが話題になっている。「ニッポン・モダンタイムス〜日本のスウィング・エラ1928-1942」がそれで、わたしは知らなかったが、昨秋から復刻アルバムがリリースされ、先月の二村定一盤で終了したのだそうだ。
上海バンスキング」とおなじ時期に東京ではこれらのCDに収められている歌手、ミュージシャンが舞台に、レコードに活躍していた。川畑文子のようにアメリカから来日した歌手もいる。そこで午後は銀座へ出て山野楽器でシリーズぜんぶを購入。おまけに同店でコロムビアに吹き込んだ川畑文子のレコードをCD三枚に集成、うち二枚がリリースされているのを見かけたものだから素通りするわけにはゆかなかった。

「ニッポン・モダンタイムス」は個人のアルバムがデック・ミネ、藤山一郎、岸井明、松島詩子二村定一。うちディック・ミネ、岸井明は二枚組。コンピレーション盤が「スウィング・ガールズ」「スウィート・ボイス」「スウィング・タイム」でいずれも二枚組。都合十三枚、さらに川畑文子が二枚くわわる。
ついでながらデック・ミネの父君は高知の私立進学校として有名な土佐中学校・高等学校の初代校長だった。むかしわたしはこの中学を受験して不合格となった。人生ではじめて悲哀を教えてくれた学校だ。ありがとうよ。
もうひとつ昔の歌手にかんする話で、高知市のわたしの生家の近くに楠木繁夫の弟さんが住んでいたそうだ。いつだったか叔母が、わが家の近くに城東商業(げんざいの私立高知高等学校、甲子園での優勝経験あり)で音楽を教えていた黒田先生のお宅があったと言っていた。この黒田先生の兄が「人生劇場」「緑の地平線」などのヒット曲で知られる楠木繁夫(本名黒田進)で、「人生劇場」が村田英雄のオリジナルではないと知って、へーえといった気持だった。
それはともかく年金老人がこれほど買い物をしてちゃ家計はギリシアの国家財政(日本もさほど変わりはないか)とおなじ危険にさらされるのはあきらかである。でもね、こういうこともあろうかとふだんはできるだけ禁欲的な生活をしているのですよ。貧乏だといって断念などしちゃいられません。(おや、どこかから、どの口が禁欲的な生活などといっているのとお訊ねあり。)
貧すれば鈍するということばがあり、貧乏をすると、生活の苦しさから精神のはたらきまで愚かになると説明があるけれど、貧してもせめて鈍の度合をすくなくするにはこれくらいの贅沢はしなくてはいけない。

二月十二日
ドラゴン・タトゥーの女」を観に有楽町へ出かけた。オリジナルとおなじく本リメイクもなかなかよく出来ている。ところがこの映画はR15の指定を受けている。帰りにエレベーターのポスターでそれを知って、一瞬、こんなおもしろい映画、おれが中学生だったらどうすればよいのよと思った。後見役の弁護士によるリスベット(ルーニー・マーラ)への凛辱シーンは必然性があるからともかく、彼女とミカエル(ダニエル・クレイグ)のベッドシーンにぼかしを入れるほどのハードさは不要だと思うな。
買い物のあと喫茶店毛利眞人著『沙漠に日が落ちて 二村定一伝』を読む。おなじ著者の『ニッポン・スウィングタイム』は日本のポピュラーミュージックから見た戦前の大衆文化芸能史であり、名盤案内ともなっている。大満足の前著につづいての一気読みだ。一九八三年の刊行時に読んで以来の瀬川昌久著『舶来音楽芸能史 ジャズで踊って』も読み返さなくては。
二村定一伝のとちゅうしばしiPodで音楽を聴いた。もちろん「ニッポン・モダンタイムス〜日本のスウィング・エラ1928-1942」のCD群に収めるもので、いずれのアルバムもまだ一気通貫では聴いておらず、まずは好きな曲、気になる曲から聞きはじめている。とりあえずの二三の感想を記しておこう。

まずは二村定一の「君恋し」。聴いたことはあるがCDでもつのははじめてで、重ねて聴くほど味が出てなかなか次へ進めない。
フランク永井のカバーでヒットしたときわたしは小学生。オリジナルを聴いたのはずっと後だったが、その前にこの歌に三番の歌詞があるのを知った。フランク永井盤にはない「君恋し」の三番には「臙脂の紅帯ゆるむもさびしや」とある。つまり、これはもともと女による男の「君」への恋情を歌ったものなんでしょうね。カフェーの女給さんの恋の歌のような気がする。だから三番まである二村定一盤は男による女の歌という陰翳を帯びている。女の気持を男が歌うのは当時としては異例であり、何でもありという意味のジャズになるのではないか。
二村定一君恋し」はじつに歌詞がくっきりとしている。べとついた湿度の高い感情は排されていながら、しかしどこかしら哀感が漂う。名唱たる所以だ。『砂漠に日が落ちて』によると、先輩には失礼ですが、お下手ですねえといった演歌歌手がいたそうだが不見識もはなはだしい。
話題変わって「スウィング・タイム」に収められている「別れても」が好きだなあ。二葉あき子が歌った戦後すぐの曲だとばかり思っていたのが、一九三九年にリリースされていたなんてこのCDを聴くまで知らなかった。作詞藤浦洸、作編曲仁木多喜雄。
戦前の「別れても」を歌っているのは鈴木芳枝。毛利眞人さんのライナーノーツには「知られざる初出バージョン」とあるからヒットには恵まれなかったのだろう。二葉あき子よりもすこしテンポが早く、モダンガールの哀感といったおもむきがにじみ出ていて、関種子の「雨に咲く花」に通じるものがある。そして素敵な歌唱とともにトランペットによるオブリガードがいっそう情感を高めている。一番から二番の間奏に淡谷のり子が歌った「君忘れじのブルース」の「歌う女の心はひとつ」の箇所が挿入されているように思えるのだが、どうなっているのだろう。「君忘れじのブルース」は戦後のヒット曲だが、この歌も戦前に出来ていたのか。それにしてもこちらは長津義司の作曲で「別れても」の作曲者とは違う。とりあえず疑問としておこう。事情のわかっている方がいらしたら教えてください。

知らなかったといえば林伊佐緒が「ダイナ」を歌っている。歌はもちろん演奏もノリがよくてジャズの気分が横溢。「ダンスパーティの夜」のような洗練された歌謡曲の人だと思っていたのでおっ!だった。思い起こせば林伊佐緒には「真室川音頭」を編曲した「真室川ブギ」のヒットがあるから、ジャズの系列もあってなんの不思議とてないわけだ。
「ダイナ」はディック・ミネとこれをコミック・ソングとして歌ったエノケンのものだけではなく、ほかにも「ニッポン・モダンタイムス」のCD群には岸井明、スリー・シスターズ、宮下昌子の「ダイナ」が含まれていて、それぞれ工夫を凝らしたアレンジで歌っている。
「ダイナ」については徳川夢声が『いろは交友録』で「ダイナ」と「マイ・ブルー・ヘブン」を歌わしたらリキー・宮川の右に出る歌手はいなかった、まったく巧かったと書いている。早く聴いてみたいものだ。
林伊佐緒に話を戻せば、わたしは軍歌にはなじみがないが、この人が作曲した「出征兵士を送る歌」だけは歌詞はともかくメロディーが軽快、浮き立つ調子で例外となっている。この軽快、調子のよさが「ダイナ」に通じているのかもしれない。毛利眞人『ニッポン・スウィングタイム』には林伊佐緒=多紀英二について「本職のジャズアレンジャーとはまったく異なるリズム感覚と楽器編成で独自のスウィングを表現した」とある。もっとも軍歌ではないけれど小唄勝太郎の出征する背の君を送る「明日はお立ちか」も好きだから、わたしはお見送りの歌に惹かれやすいのかもしれない。
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