シルクロードを走る〜ウズベキスタン旅日記(其ノ一)

六月十二日。ウズベキスタンへの旅に出かけた。家族からは「スタン」のつく国へ行っていいの、などとからかわれながらの旅は成田からインチョン空港を経てタシケント空港へと向かった。
ウズベキスタン中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国で、北と西にカザフスタン、南にトルクメニスタンアフガニスタン、東にタジキスタンキルギスと接する。面積はおよそ44万7400㎢、日本の約1.2倍にあたる。人口はおよそ3212万人(2017年)、そのうち首都タシケントには279万人ほどが暮らしている。
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朝いちばんでタシケントサマルカンド高速鉄道(新幹線)、アフラシャブ(Afrosiyob)号に乗り、サマルカンドへ向かった。走行距離約340kmが二時間ほどで結ばれている。アフラシャブはサマルカンド周辺地域にある最古の遺跡で、古代から中世にかけてあった都市の名前に由来している。車内ではお茶とアップルパイのサービスがあった。食堂車では現地ビールを販売していたが、残念ながらあとで走る予定があり断念した。

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サマルカンドに着きウルグ・ベク天文台跡を訪れた。1420年代に、ティムール朝の君主で天文学者でもあったウルグ・ベクが建設した天文台は中世イスラム世界において有数の施設と評価されている。サマルカンドは十五世紀の科学の最先端を行く地だった。
ただし1449年にウルグ・ベクが亡くなったあと、保守的なイスラム教徒により天文台は大部分が破壊され、地下のアーチ部分が発見されたのは二十世紀、1908年のことだった。いわば数奇な運命をたどった天文台である。
 
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新幹線アフラシャブ(Afrosiyob)号の名前のもととなったアフラシャブの丘に来た。サマルカンド歴史博物館の裏手に広がる広大な丘陵だが、特になにがあるというわけではなく、わたしはガイドさんの話を聞いてはじめて観光地となったいきさつを知った。
つまりここはチンギス・ハン率いるモンゴル軍に破壊されるまではシルクロードの重要な都市として繁栄していたころで、サマルカンドの夢の跡なのだ。
モンゴルの侵略により住民たちは町を捨てることを余儀なくされ、多くの遺物は地下に埋もれた。その発掘がいま行われていて、多くがサマルカンド歴史博物館に展示されているが、残念ながらこの日、博物館は休館だった。

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二十代の終りに西安へ行きシルクロードの出発点に立った。退職後六十を過ぎてトルコにあるローマ帝国時代のキャラバンサライ(隊商宿)を訪れた。そうなると、あいだが抜けているのが気になり、かねてより、そのかんのどこかに立って絹の道を体感しながら走ってみたいと願っていた。今回の旅の第一のミッションで、それが、きょうシルクロードの重要な都市の跡を走ってようやく叶った。
自分で言うのははばかられるけれど、曲がりなりにも(ほんとは曲がってはダメだけどね)お堅く、まじめに、そして曲がることなく貧乏した四十年の職業人生活だった。老骨に鞭打ちながらのシルクロードのランはそのご褒美と思いたい。