「喜劇人の碑」


浅草の浅草寺境内奥山にある「喜劇人の碑」。1982年(昭和57年)に逝ける浅草の喜劇人を偲び、建立された。
コメディアンが経験を積むうちに性格俳優に変身するばあいがある。小沢昭一は「わらわせ業始末」でこれを「マジづく」と表現している。「マジづくとはマジメづく、つまりシリアスな表現への憧れが湧いてくる。笑いに意味をもたせ、笑いを通して人生を、だの、笑いの中に人の心の温かい心を、だの、ドタバタでなく人間の喜びと悲しみを裏に秘めた笑いを、だのということになる」というわけだ。
チャップリンがそうだった。日本では森繁久彌がこのコースをたどった。小林信彦は『日本の喜劇人』で、森繁の鮮やかな変化がその後の日本の喜劇人への意識にとんでもない異変を起こさせたと述べ、それを「森繁病」と呼んでいる。もちろん森繁さんもここに刻まれている。