「マグニフィセント・セブン」

アントワーク・フークア監督「マグニフィセント・セブン」は一九六0年製作の『荒野の七人』(The Magnificent Seven)と原題をおなじくするリメイクであり、「七人の侍」からいうとリメイクのリメイクとなる。
無法者集団の略奪に耐えかねた村人が七人の腕利きを雇い、ともに襲撃してくる一団と闘うというストーリーの流れ、基本の枠組みはおなじで、今回の舞台は南北戦争後の西部、近くに金鉱が発見されたローズ・クリークという町だ。
金鉱を独占しようとする悪徳実業家バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サースガード)が三週間の期限を切って住民たちを町から追い出そうして教会に放火し、抵抗した住民たちを見せしめに射殺する。射殺された一人がカレン(ヘイリー・ベネット)の夫マシューで彼女は町民のテディQとともにボーグを倒すべく助っ人を探しに行く。

七人が集結するプロセスは前二作に較べるといささか淡泊だが黒人のリーダー、サム・チザム(デンゼル・ワシントン)のもとに白人、メキシカン、ネイティブアメリカン、東洋人が集う構成とそれぞれの個性は「荒野の七人」と比較して際立つ相違であり「町でタマのついているのはわたしだけ」というカレンの存在も現代風の彩りを添える。そしていざボーグたちとの闘いがはじまると一瀉千里、息をもつかせない。双方が使った銃弾と火薬の量ははんぱじゃない。
サム・チザムは冷静沈着でカンザス州、インディアン準州ら七つの州の委任執行官の肩書を持つ賞金稼ぎだ。彼がどうしてローズ・クリークの町を救おうと決意したのか、そのわけが最後のボーグとの決闘シーンで明かされる。ここはリメイクの枠組みから大きく翔んだところで、ほほうと思っているとエンドロールで『荒野の七人』のあのメロディ流れて心は躍った。
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七人の侍」で百姓たちがずいぶんと刀や槍を持っているのを見て侍たちが驚きあきれる場面がある。戦場で果てた武士のものを盗んでいて、これに対し「マグニフィセント・セブン」の町の住民たちは射撃の技術は未熟ながら自身の銃は具えていた。自分の身は自分で守る、そのためには家庭に銃を具えておくのは当然だった時代である。
正統派西部劇のスクリーンに社会的メッセージを読むのは野暮な話だが、観ているうちに銃規制が大論争となる以前のアメリカの姿を見る思いがした。そういえば強欲な実業家ボーグに、多様な人種からなる集団が闘うという構図にトランプ政権誕生で揺れるアメリカの姿を観る議論があるそうだ。
振り返ると「七人の侍」が公開された一九五四年当時、日本軍の侵略と地主の搾取にあえいでいた農民を解放し中華人民共和国を樹立した人民解放軍の姿を侍たちに重ねて見る向きがあった。
(一月三十一日TOHOシネマズ日本橋