中央会堂


本郷の中央会堂は一八九0年(明治二十三年)カナダ・メソジスト派のチャールズ・イビー宣教師により創建された。中央会堂は日本の中央の天幕の意で、教派的立場を超えてモーセが荒野でテントを聖所としたことに由来するという。
夏目漱石三四郎』に、美禰子が「会堂(チャーチ)」にいると知った三四郎が会堂の前まで行くと讃美歌が聞こえていて、それを聞きながら彼女が出てくるのを待つ場面がある。そのあと二人は「結婚なさるそうですね」「御存じなの」と最後の言葉を交わした。こうして「会堂(チャーチ)」は三四郎と美禰子の別れの場所となった。
漱石は「会堂(チャーチ)」を本郷春木町の中央会堂と明記はしていないけれど、そう解してまちがいはないだろう。ただし漱石が見た建物は関東大震災で焼失しており、現在の中央会堂は一九二九年(昭和四年)米国人宣教師ボーゲルの設計により再建されたものである。