「灼熱」

先日クロアチアスロベニアボスニア・ヘルツェゴビナセルビアモンテネグロの五か国を廻って帰国すると折よくダリボル・マタニッチ監督「灼熱」(二0一五年第六十八回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞)が上映されていて、さっそく劇場に足を運んだ。
上の五か国はいずれも旧ユーゴスラビアに属した国家だが、その解体過程において深刻な内戦を経験した。このうちクロアチアスロベニアセルビアの三カ国が「灼熱」の製作国として名を列ねている。平和が戻ったいまは美しい風景や歴史遺産を求めて多くの国から観光客がやって来る状態にあるけれど、底流、深層には辛い過去が潜んでおり、民族、宗教をめぐる対立感情はなお強く残っているであろう。このなかで三カ国の映画人が提携して映画製作にあたったことをまず特筆しておきたい。
一九八0年チトー大統領が歿した直後からユーゴスラビア各地では不満が噴出し、連邦を構成するいくつかの国や民族から独立の声が高まった。それから十年、ソ連の崩壊、東欧諸国の民主化の流れのなかで民族と宗教のモザイク状態にあったこの国は内戦状態に陥った。
ユーゴスラビアの崩壊とともにユーゴスラビア国民はいなくなりユーゴスラビアという国籍は消え、代わって浮上したのがクロアチア人、スロベニア人、セルビア人といった民族のアイデンティティであり、地域に深く染みついた民族、宗教をめぐる憎悪だった。こうした事情をふまえて「灼熱」はクロアチア人とセルビア人との対立を背景とする三つの愛の姿を描く。

オムニバス作品として(1)一九九一年(2)二00一年(3)二0一一年と十年おきに設定が変えられ、三つの時代の異なる愛のエピソードを、おなじ男女の役者(ティハナ・ラゾビッチ、ゴーラン・マルコビッチ)が異なる人物に扮して演じる。内戦とともに揺れた愛のありようを一つのものとして紡ぎたい思いに発した試みだ。
クロアチアが独立を宣言したのは一九九一年、当時クロアチアの人口の12%をセルビア人が占めていて、セルビア人の保護を掲げて連邦軍が介入して激しい戦闘がはじまった。これまでの隣人はクロアチア人対セルビア人、カトリック教徒対セルビア正教徒として対立、交戦する関係に陥った。こうしたなか(1)ではセルビア人女性とクロアチア人男性の仲が引き裂かれてしまう。
(2)では戦争の翳が近しい人を殺された人たちを覆う。内戦は終結したといっても民族間の憎悪の克服はなお遠い。ここでは惹かれあうセルビア人女性とクロアチア人男性がいるが、そのあいだには女の兄がクロアチア人に殺された事情が伏在している。
(3)はセルビア人を嫌う母親の意向で恋人と別れたクロアチア人の男と恋人だったセルビア人女性との再会の物語。男はどうしても忘れられない彼女に帰郷して会いに行く。一度は亀裂の入った男女が和解を探りあい、憎しみの連鎖を断ち切る希望がほのかに見えてくる。
クロアチア内のセルビア人の集落やアドリア海沿岸にぽつんと取り残されたようにある内戦の傷跡を残した建物などパッケージツアーではなかなか窺えない映像が貴重また忘れがたい。
(十二月一日シアター・イメージフォーラム