織女と牽牛(モロッコの旅 其ノ三十二)


サハラ砂漠で天の川を見て感嘆久しくし、つぎに心に覚えたのは子供のときに見たときの星空の記憶であり、ノスタルジーだった。あまりに天空の光景に魅せられていたものだから、織女星牽牛星の伝説に思い至ったのはだいぶんあとのことだった。
中国、日本そうして東アジア各地に伝わる七夕伝説の原産はどこかなんて詮索はともかくとして、二つの星に悲恋と愛の哀しみを連想した天の川にまつわる物語は古代人の一大ロマンだった。
帰国して、中国南北朝時代南朝梁の昭明太子により編纂された『文選』所収、作者不詳「古詩十九首」に「河漢清且淺 相去複幾許 盈盈一水間 脈脈不得語」とあるのを知った。
(天の川は清くてしかも浅く、隔たる距離はそれほど遠くはないのに、水の流れる川を挟んで、見詰め合ったまま語ることもできない。)