「或る夜の接吻」余話〜接吻歌謡篇

「リンゴの唄」は敗戦の年の十二月に並木路子霧島昇のデュエットで吹き込まれ、翌年一月にコロムビアからレコードが発売された。そのころ並木路子NHKの公開ラジオ番組「希望音楽会」でこの歌を歌いながら客席に降り、篭からリンゴを配ったところ会場がリンゴの奪い合いで大騒ぎになったという。食糧難の時代に赤いリンゴはきらびやかなまぶしさを放っていた。
その「リンゴの唄」について「赤いリンゴにくちびるよせてだまってみている青い空」のリンゴは食糧難のさなかでたしかにまぶしかったけれど、それ以上に「くちびる」という言葉に衝撃を受けた、と立川昭二先生が書いている。
「『赤いリンゴにくちびるよせて』という感覚、あれはたんなる食欲だけではなく、性欲までとはいかないけれど、それに近いものを表現していたと思います。当時のわたしたちの世代は、とても『くちびる』なんてことばは、口に出せなかった。わたしは二十歳前後でしたから、歌謡曲のなかに『くちびる』という性愛のシンボルが出てきたのは、いわばカルチャーショックでした」。(『からだことば 日本語から読み解く身体』)

「くちびる」でこうだったとすれば「或る夜の接吻」といった映画の題名、さらにはスクリーンで日本の役者が唇を重ねるシーンがもたらすカルチャーショックの度合はわたしたちが考える以上のものがあっただろう。
だとすれば「或る夜の接吻」の主題歌「悲しき竹笛」の三番の歌詞「雲は流れて帰れども 鳥は塒(ねぐら)に急げども ああ誰にあかさん唇燃ゆる こよい男の純情を」はなかなかの衝撃だったと想像される。
もっとも性への感覚は人それぞれだとしても、立川先生のばあい平均よりやや晩稲に属するのかなという気がしないでもない。というのも戦前の日本映画にキスシーンは許されていなかったが、歌の世界ではキスを含んだ歌詞が歌われていたからである。わたしがすぐに思い浮かぶのはディック・ミネが歌った「ダイナ」だ。
「ダイナわたしの恋人 胸にえがくはうるわしき姿 おお君よダイナ 赤き唇 我に囁け愛の言葉を ああ夜毎君の瞳慕わしく想い狂わしく おおダイナ許せよ口づけ わが胸震えるわたしのダイナ」
また『ニッポン・スウィングタイム』の著者毛利眞人氏のご教示によれば「昭和三年のジャズソングに『赤い唇』があって、これは唄のなかでチュッとキスをする音まで入っています。それ以前、大正期の書生節にもありましたから、唇はわりと戦前でもポピュラーな印象です」とのことだった。
戦前の、戦時色が強くなるあたりまでのお上のチェックは映画にくらべて歌謡曲にはだいぶん寛容だったらしい。