瞬間日記抄(其ノ十)


千葉伸夫『原節子』を2001年刊行の平凡社ライブラリー版で読んでいる。原節子、本名会田昌江は1933年(昭和8年)に私立横浜高等女学校に入学した。「この年に中島敦(のちに作家)が二十四歳で、前後して、岩田一男(のちに一橋大学教授・英文学者)、渡辺はま子(のちに歌手)が着任している」。









平凡社ライブラリーの元版は1987年刊行の大和書房版。上で引用した箇所は元版では「この年に岩田一男(のちに一橋大学教授)、翌年、中島敦(のちに作家)が二十五歳で、翌々年、渡辺はま子(のちに歌手)が着任している」と書かれていて、平凡社の増補改訂新版があいまいな記述になっている。
会田昌江は1934年に横浜高等女学校を中退し、翌年四月に原節子としてデビューした。元版では岩田一男中島敦の授業を受けた可能性があり、渡辺はま子が着任した時は中退している。新版だと渡辺〔「忘れちゃいやよ」「支那の夜」等〕はま子の授業も受けたのかも知れない、と読める。






昨年刊行された貴田庄『原節子 あるがままに生きて』(朝日文庫)には、中島敦渡辺はま子が横浜高女に短期間勤めていたとの紹介とともに「原節子が中途退学する時、渡辺はま子はずいぶんと彼女を引き止めたようです」との記述がある。典拠は不明ながら、原節子の音楽の先生は渡辺はま子だったのか。









デビュー75周年伝説の美女「原節子」を探して、という特集の「新潮45」三月号は内田吐夢監督「生命の冠」のDVDが付録。原節子が横浜高女を中退した二年後の1936年の作品だ。フィルモグラフィーで目にしていたかも知れぬが意識にはなかったので知らぬも同然。こういうのは持っているだけで嬉しい。










「生命の冠」は樺太の真岡で蟹の不漁がつづくなか蟹缶工場を経営する主人公(岡穣二)の苦悩を描いた作品。誠実な経営ゆえに工場を手放さなければならなくなる主人公の妹が原節子。十五歳とはおもわれぬ落ち着きのあるたたずまい。本作に先だち彼女は山中貞男監督「河内山宗俊」に出演している。
内田吐夢監督の代表作「土」(1939年)は日本映画史上リアリズム映画の頂点との評価がある。「土」は未見ながら「生命の冠」を見るとそのリアリズム志向は十分に窺える。ロケ地は国後島東岸の古釜市。映像は「蟹工船」の世界の一面とともに、図らずも北方領土を今に伝えてくれている。
内田吐夢の初トーキー作は名作「人生劇場・青春編」。封切りは二・二六事件の二週間後だった。つまり「生命の冠」はおなじ年の作品。今回のDVD「生命の冠」はサイレントで、これはトーキー版をもとに作られたという。設備のない地方の映画館に配慮しての措置だった。




「生命の冠」のように雑誌にDVDが付いてくる。映画は好きなとき好きに観られる時代になった。そのぶん劇場での共同体験は少なくなり、祝祭性は希薄になった。映画について語り合う場面も減ってきているだろう。それらの風景が消えて、大冊の映画学術書が増えたような気がする。
雑誌に付いてくるDVDや映画学術書が映画のパーソナル化の徒花などと言うつもりはない。カルチュラル・スタディーズといった装い新たな学問やなにやが映画についての知見を広く深くしていることも評価しよう。それゆえに侃々諤々の議論や劇場の祝祭性がいとおしく感じられるのもまたじじつなのだ。