ウィリアム・シャイラー『ベルリン日記 1934-1940』にみる暗殺未遂事件
ドイツ映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」(オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督、2015年)はゲオルク・エルザー(1903/1/4~1945/4/9)によるアドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件の再現を企図した作品で、事件の経過とその後、また平凡な家具職人だったエルザーがやむをえず犯行におよんだ心理やそれまでの鬱屈した日々が描かれている。

事件は一九三九年十一月八日に起きた。一九二三年十一月八日から翌九日にかけてヒトラーおよびナチ党員はミュンヘンでクーデター未遂事件を起こしており、この日はその記念日にあたっていて、ミュンヘンのビヤホールでは毎年恒例のヒトラーによる記念演説が行われていた。エルザーは演壇のすぐうしろの柱に爆弾を仕掛けたが、ヒトラーが予定より早く演説を終え、ナチ幹部とともに会場をあとにしたため難を逃れた。演説を終えた十三分後の爆発により七人が死亡、六十三人が負傷した。
エルザーは事件当日の夜、スイスへ不法越境しようとして逮捕され、取り調べで暗殺未遂の実行犯であることは自白したが、あくまで単独犯であると主張し、一貫して背後関係はないと主張した。
エルザーが処刑されたのは一九四五年四月九日で、ヒトラーが自殺したのは同月三十日だった。事件の性格を考えると拷問、即決裁判、死刑判決、直後の処刑となっておかしくないにもかかわらず、ナチにしてはずいぶん長く生かしておいたことに疑問を覚えない人はいないだろう。その点も含め事件はどのように扱われ、解釈されてきたのかを探ってみたい。
そこで長年ドイツを中心にヨーロッパで報道に従事したアメリカ人ジャーナリスト、ウィリアム・シャイラー(写真)の日記で事件を追ってみよう。

『ベルリン日記 1934-1940』(大久保和郎、大島かおり訳、筑摩書房)は気鋭のジャーナリストによる歴史のライブ中継であり、著者は事件の翌日十一月九日にこう記した。
「ヒトラーと党の大物指導者の全員が昨夜ミュンヘンのビュルガーブロイ・ケラーを立ち去った十二分後、九時九分過ぎに、爆弾が破裂してこのビヤホールを吹き飛ばし、七名が死に、六十三名が負傷した。爆弾はヒトラーが演説した演壇のすぐうしろの柱に仕掛けられていた。もしヒトラーがあと十二分と一秒立ち去るのが遅れていたら、彼は間違いなく死んでいただろう」。
「犯人が誰か、まだ誰にも分っていない。ナチの新聞は、下手人はイギリスだ、イギリス諜報機関だと金切り声をあげている!」
これにたいしシャイラーをはじめとするナチに批判的なジャーナリストはナチによる謀略の疑いが濃いと判断した。
一九三三年二月二十七日の夜、ワイマール共和国の国会議事堂が炎上したのはマリヌス・ファン・デア・ルッベというオランダ共産党に所属するコミュニストによるものだったが、そのじつ彼はナチの手先で、炎上はナチにより計画されたもので、今回の暗殺未遂事件はその二番煎じというわけだ。
ルッベはナチの手先ではなかったともいわれるがシャイラーは「ナチが計画していたまさにそのとおりのことをやろうとしていた共産主義者の放火魔をナチが見つけた、という偶然はほとんど信じがたいが、にもかかわらず証拠に裏付けられている」「ファン・デア・ルッベがナチの手先として利用されたのは間違いないようである」との見解を採っている。(『第三帝国の興亡1』(松浦怜訳、東京創元社)
おなじく十一月九日の日記にシャイラーは「これまで毎年ヒトラーと党のお歴々全員は演説のあとも会場に残って、一揆の同志たちとビールを鯨飲して当時の思い出話に花を咲かせたものだ。ところが昨夜は彼らはかなりそそくさと建物を出てしまい、あとには下っ端の同志ばかりが残ってビールを飲んでいた。この『暗殺』未遂事件は疑いもなく世論をヒトラーの背後に結集させ、イギリスへの憎悪をかきたてるだろう」と書いた。
事件の翌日、実行犯もわかっていない段階でナチはイギリスの陰謀を声高に主張し、反ナチのジャーナリストはナチによる謀略を唱えた。いずれにしても確証のないまま予断と偏見が横行していたのである。単独犯説の否定には精巧な時限爆弾には高度な知識技術を必要とする事情も大きく作用していた。
海の向こうのイギリスではチェンバレン首相の秘書官補佐の任にあったジョン・コルヴィルが日記で事件に触れていて、彼はシャイラーと異なり襲撃は本物だったと推測するとともに、ヒトラーはこの出来事を徹底的に利用するだろうと警戒した。(ジョン・コルヴィル『ダウニング街日記』都築忠七、見市雅俊、光永雅明訳、平凡社)
『ベルリン日記 1934-1940』に戻ると、本書にゲオルク・エルザーの名前が出るのは事件から二週間ほどのちの十一月二十一日で「今日ゲシュタポ長官ヒムラ―は(中略)爆弾を仕掛けた犯人を見つけたと発表した。名前はゲオルク・エルザー、三十六歳。ヒムラ―の主張によると、その陰で糸を引いていたのはイギリス情報局と、かつてのナチ指導者で現在はヒトラーの仇敵となりフランスに住んでいるオットー・シュトラッサーだという」とある。
シャイラーはヒムラ―の説明を信用しておらず「明らかにヒムラ―とその一味が狙っているのは、欺されやすいドイツ国民に、イギリス政府はヒトラーとその主だった幕僚たちを殺すことによって戦争に勝とうとしたのだと信じさせることなのだ」と反論し、それを補強するように、あるドイツ人の「これで私は、ヒムラ―があの爆弾事件の張本人だということがはっきりわかりましたよ」との言葉を書きとめている。どうやら事件直後からゲシュタポ(秘密国家警察)長官ヒムラ―の事件への関与がとりざたされていたようだ。
ヒムラーとシャイラーはイギリスとドイツの違いはあるがエルザーには背後関係があり、彼は黒幕により使嗾されていたという見方では共通していて、エルザー個人の決断による行為だった可能性はまったく顧みられていない。